広島に原爆が投下された日。戦争を起こしてはならない、核兵器はなくさなければならない。こんな自明のこと、合意形成するまでもないはずのことが、どんどんそうでもなくなっていく。どうしたらいいんだろう。
お祭りは今日も続いている。猫が朝から挙動不審になり呼吸が荒いように見えるのは、神輿や山車の音におびえているのだろうと考えていた。実際それが大きいと思うけど、いつもは食事を出すそばからペロッとたいらげてしまう猫が今日は口もつけず、耳も熱い気がする。もしかして熱中症? その考えが浮かんだとき、ちょっとあわてた。日曜はかかりつけの動物病院が午後休診だから、病院に行くならもうあまり時間がない。さてどうする
うちの猫は心臓に異状があって常に呼吸が早めなので、呼吸数で異状を察知するのが難しい。今、どういう状態なのか、猫に尋ねたい。猫語翻訳機が欲しい。
ひとまずネットで検索し、ぬれタオルや保冷剤で冷やしてみた。「あれ? これ、きもちい?」と猫自身が気づいてくれることを期待したけど、案の定暴れっぱなしで、あまり冷やすことはできなかった。それでも多少持ち直すところが見られたので、今日は家で様子を見ることにした。
午後になってようやく猫が熟睡。ほっとして私も仕事を始めた。しばらくしてまたお祭りの音が聞こえてきたときには、「猫が寝てるでしょうが〜〜」となった。雷もそうだけど、音は防ぎようがなく(あと何かできるとしたら「雨戸を閉める」ぐらいか)、猫にはかわいそうなことだ。この猛暑のなか、外で生きている猫はどこかへ逃げているのだろうか。
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昨日の調べ仕事で姿勢を悪くしていたために、腰がけっこう痛い。かばいながら仕事を進める。
今回の原稿は、事実確認の対象となる文言が非常に多い。そして間違いや間違いが疑われる記載も多い。指摘が多いということは、手書きでの書き入れに時間がかかるということであり、裏付けとなる資料の印刷が大量になるということで、その分工数もコストもかかるということだ。そして、対応内容は事実確認だけではない。
今日中に仕事を終えることができれば、提示された料金がギリギリ「ちゃんとした報酬」の範囲に収まる。でも全然終わりそうになかった。
腰を痛めて根を詰めて、最終的に時給換算数百円になってしまい、さらに印刷コストが生じてしまう、この仕事はなんだろうと考えてしまう。
校正・校閲の仕事は、不可欠の、意義ある仕事だと心から思っている。やればやるほど難しく、キリがなく、奥が深い。でも報酬がそれに見合っているかというと甚だ疑問だ。メディアやイベントに出るような、おそらく依頼者から直接受注できるであろう著名校正者の報酬レベルは(テレビで放送されたあの文字単価を除いて)知る由もないが、少なくとも末端校正者の私のそれは。
この構造にも、そう思っていてもこの仕事をしないと生きていけない自分にも、やりきれないものを感じる。やりがいを感じることと、搾取構造の歯車になるのを許容することは、別の話だ。
仕事を進めれば進めるほど、気持ちがどうにもくさくさするのがわかった。集中が切れる前にしっかり見て終わらせてしまおうと、半ば意地になって進め、プランクもサボって寝る時間ギリギリまで仕事した。
でも、これはよくない。私は忙しいときほど運動をスキップしがちだけど、忙しいときほど運動して体をほぐし、筋肉を維持する活動をしたほうがいい。根詰めて腰を痛めてから復旧させるのは大変だし、最悪の場合は仕事に支障が出る。
日記も同じで、よほどの例外的な何かでない限りは、仕事があってもルーチンを怠らず日々のサイクルを守ることが、私自身を健全に保ち、仕事の持続可能性や私自身の持続可能性を高めることにつながるはずだ。そのことを毎日のように実感するけど、気がつくとこうして日記をまとめて書く生活になっている。ちょっとでもその日に、なるべく間を置かずに書くルーチンをつくりたい。