久しぶりに人間関係上の理不尽さを味わった。自分が誰かに軽視されている感覚、私がいなくてもなんでもないひとのまなざし、疎外され置いていかれるつらさ、一方的な断罪。人間無理。人間関係無理。
——そう言って、「無理」だと結論づけて人間関係を放棄してきた結果が今のありさまで、その「今」の時点から放棄してきたこれまでを反省することは常に多々ある。今でも人間関係を求める気持ちはある。でも、理不尽はやっぱりつらい。理路が通じず、嵐が過ぎるのを待つしかない時間。私はやっぱりひとりでいい。しぬまでひとりで生きていける社会なら、ひとりでいい。ひとりがいい。
出来事に直面した直後は、怒り、くやしさが沸騰した。でもその怒りは時間の経過と、事後に当事者に対して自分の意志を表明したことで消した。私自身は禍根はもう残していない。私の表明がなにがしかの影響を及ぼすことはあるのかもしれないが、そうならないように配慮して伝えたつもりだが、あとはなるようになるしかない。
ただ今回、チョカを巻き込むことになってしまったのが本当に申し訳なかった。それだけは消せない。私はチョカが求めてくれる限りは、チョカとの人間関係は大事にしたい。あくまでお互いの合意形成のもとで、という前提だけど、チョカとの時間は大事にしたい。
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少しの間、感情がどうにもならず、涙がこみあげた。ひとりで泣きたかった。でも、泣く場所が思いつかなかった。土曜の日中にひとりで泣ける場所はどこだろう。
家はだめだ。親がいる。土日は親が不在になる時間はない。夜なら私だけが起きている時間もあるけど、泣いて鼻水をすする音が聞こえたときに、それで何か推察されるのもいやだ。私はあのひとたちに、感情のベクトルを微塵もこちらに向けられたくない。ドラマなどを見て泣きそうになったときもちょっと警戒するぐらいなのだから。
お金があれば、どこか適当なホテルに部屋をとって、気分転換がてら泊まってくることができる。ちょっと遠出してもいい。1泊なら猫の手当てもつけられるめどが立つ。でもお金はない。それにこの時期、公共交通機関での遠出もこわい。新型コロナウイルスはそこら中にころがっている。
パッと思いついたのはカラオケボックス。ただ、近所にはないし、あっても監視カメラであやしまれるんじゃないかとも思った。
土日の公園は子供たちのじゃまをしたくない(異質な大人はそれだけで「じゃま」になり得てしまうだろう)。
歩きながら泣くのは端から見てやっぱり不審感があるし、自転車で走りながら泣くのは危険だ。車を持っていれば車はいいだろうな。
映画館は鼻水すする音が迷惑になる。
夏の土日の海は人混みとワンセットだ。平日の日中ならチャンスはあるかもしれないが。
あとは風呂か。スピーカー持ち込んで風呂はまあありか。光熱費はこの際やむを得まい。ただ、風呂をためると親が寄ってくる(風呂に入りたがるから)。その応対がめんどくさい。
その後、Mastodonで教えていただいて、やっぱりカラオケボックスがよさそうだとわかった。
考えてみたら、もう相当年数カラオケボックスに行ってない。会社辞めてから行ったかどうか……。だから、今のカラオケボックスのことを全然知らないんだなと気づいた。とりあえず、最寄りのカラオケボックス情報を調べておこうと思う。
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携帯電話が完全に使えなくなった。画面が映らず、データを吸い出すこともできない。いろいろ考え、Mastodonでも対策をゆる募しているけど、何はともあれ新しい携帯を入手しなければならないのは確かだ。
さて、Reno 9Aにするか、Google Pixel 7にするか、iPhoneにするか。結局のところ、「カメラ代込みと思って買うかどうか」「カメラ代をどのぐらいまで込みにできるかどうか」によるんだ。どうしようかな……。
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気分転換に映画を見ることにした。なぜそこで『オールド・ボーイ』を選んでしまったのか。いや、私、当時1回見たんだよ。あのペントハウスの光景覚えてたし。ただ、ストーリーはほぼまったく覚えていなかった。それでどんな話だったか確かめたくて、見返そうと思っていたのだった。以下、感想というほどでもないけど感想(ストーリーに関する言及があります)。
一番のびっくりは、『オールド・ボーイ』の主人公が『新しき世界』のカン課長だったこと。あのメインビジュアルは何度も目に入っていたけど、全然わからなかった。映画の冒頭、監禁される前の主人公の顔を見て「えっっっっっっ」となった。
それと、「おっ」となったのは、ウジンのボディガードが『新しき世界』の殺し屋だったこと。終盤、カン課長はその殺し屋に命を奪われる。そしてそのとき、その殺し屋はサングラスをかけて登場するのだ。『オールド・ボーイ』で主人公がかけていたようなサングラスを。
あの場面であのかたちのサングラスをかけていたのは違和感があったのだけど、キャラクター設定上あり得るものなのだろう(あれを「大丈夫、自分は違和感のない変装をできている」と認識するキャラクターなのだろう)と解釈していた。でももしかして、『オールド・ボーイ』のオマージュだったのかな。
ストーリーはなかなかきつい話で、私はウジンにまったく感情移入できなかったので、ひたすらウジンのシナリオに沿って進んでいった末にいいようにやられる主人公とミドがつらかった。
かといって主人公に感情移入したわけでもない。誰よりミドのことがつらかった。
ちょっとつらくなりすぎて、つい『賢い医師生活』を再生してしまった。もう見返しすぎている賢医。「次に見るときは、ちゃんとメモって1話ごとの感想をまとめてみようかな」などと思ってしばらく見るのを控えていた賢医を、ヒーリングミュージックのように再生している。