ベルトコンベア、時間の有効活用、今週の「虎に翼」

データが届き次第着手する予定の仕事が2件あるのだけど、2件ともデータの到着が遅れに遅れており、かつ届く時期がまるっとかぶりそうで恐れている。しかしいくら恐れようともはや待つしかなく、待っている時間をせめて有効に活用するしかない。となればZINEをつくろうと思うもののアイデアがまとまらないまま、時間が刻々と過ぎていく。これで1日を無に帰してしまうのは自分の精神にあまりにも禍根を残すので、パソコンにちらばったファイルを整理してレシートの記帳をするなどして過ごした。

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国会ではひどいなんてもんじゃない、ひとの生活や尊厳を脅かす法案が次々と採決にかけられ、可決されていく。経済安保法案も、離婚後共同親権も、永住許可取り消し法案も、地方自治法改定案も、殺傷武器輸出も、自衛隊「統合司令部」新設法も、「国会で議論しました」の体裁を最低限保てるだけの最低限の時間を経たら、ベルトコンベアにのせられたかのように機械的に採決が行われ、可決されていってしまう。

自民党・公明党の政権与党は多くの議席を占めており、「野党」とされる側でも“第2自民党”を自称する日本維新の党や“自民党のアクセル役になりたい”国民民主党が自民党のアシストにまわるので、数では到底勝てない。採決を強行されれば、その数の暴力に押し流されてしまう。そして自民党および衛星政党は、国会での議論を軽視し、その後ろにいる主権者たる市民を向くことなどなく、数の暴力をふるい続ける。

今日は離婚後共同親権が成立してしまった。法案一つひとつに反対しようにも限界があるし、結局自民党とその衛星政党に無視され数の横暴に踏みつぶされていく。つまるところ、数の暴力をふるえないように議席を減らすしかない。それまで、極悪な法律によって弱い立場にある方ができるだけ脅かされることがないように。どうか誰も、生活や尊厳や命を奪われることがないように。

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今週の「虎に翼」について(ストーリーに言及するので、念のためスペースを空ける)。

画面中央部に、白い小さな花が咲いている。画面左上に、ピンクの花が見切れている。

「虎に翼」花岡悟役・岩田剛典インタビュー「花岡は自分の思いだけで突き進むのではなくて、ちゃんと相手の気持ちを受け入れる度量がある人間」(ステラnet、2024/5/16)
https://steranet.jp/articles/-/3114

私は人物としては轟を特に好ましく思うし、寅子がパートナーを得るなら優三であってくれたらと思うが(もちろん寅子がパートナーをもたないのも自由だ)、いろいろ考えて何も言えなくなってしまう花岡には感情移入するところがある。

記事に〈それは、いわゆる“男らしさ”かもしれませんが、やや自己完結型だなと、僕自身は感じます〉とあるように、まさに自己完結。いろいろ考えているといってもそれは自分の内面であって、そこから外に出さなければ反応は起こらない。いい反応も、悪い反応も。そして、自分の世界のなかでの予定通りの結末を迎えて終わってしまう。ひとにぶつけて反応を起こすことを諦めてしまっている。己のなかで完結させておさめようとしている花岡のそれは、やさしさと見ることもできるし、よねが指摘したように責任から逃れたい心理と見ることもできる。ともあれ、花岡は考えて考えている。その姿勢は無神経・無思慮に言いたいことを言うよりはるかにいいと私は思うし、その姿に共感する。そして、そんな花岡に、そうして自己完結で人生を決めてしまっていいのかよ、それでいいのかよと問うてくれた轟をやっぱり好ましく思う。

「虎に翼」轟太一役・戸塚純貴インタビュー「轟の中では絶対的な、“男だから・女だから”を超えた、人としての正義がある」(ステラnet、2024/5/17)
https://steranet.jp/articles/-/3120

このひとは、花岡のことももちろん好きで幸せになってほしいと思っているけど、寅子もよねも、奈津子にも幸せになってほしいと思えるひとなんだ。そして自己完結せず、好きなことを好きと言える。ひととして厚い。火曜日の回で「花岡さんも佐賀に行ってしまったし」と言う寅子によねが「……そうだったのか」と返すのだけど、そのよねを見る轟の顔に、ひとの機微を見て取る轟のこまやかさが見てとれて、感動に近い気持ちを覚えた。その轟が「お国のために質素倹約!」をやるという、あれは見事なキャラクター造形でありストーリー展開だと思った。轟が久保田を「久保田先輩」と呼ぶのもなんだかいい。花岡を呼び出すよねと轟のシーン、花岡を映すカメラがゆれてるのも、うわあ……となったとこだった。

後半はなんといっても優三。木曜の回を見終えての心中の第一声は「優三さん、どうか死なないでくれ」だった。脚本家の吉田恵里香さんのツイートによれば、「僕じゃだめですか」のシーンの優三は、シナリオでは腹を下す設定にしなかったそうだけど、腹下しの描写があってよかったと思う。

でも……優三はあの結婚でさびしくならないのだろうかと、心配になってしまった。優三が、寅子に対して性的欲求をいだいているかどうかは置いといたとしても、求めているものが(本当は)違うひとがなまじ自分の配偶者として近くにいるというのは、けっこうしんどいと思うのだけど。いや、(本当は)違うかどうかもまだわからないか。杞憂であってくれたらいい。

本作品については、「寅子がアロマンティックであるという読みを許容する形で造形されている」という解釈がある。私は寅子に恋愛感情をもってほしいとは全然思ってないし、優三がただちに不幸だとも全然思ってない。ふたりの間にあるものが恋愛感情以外であっても、逃げ恥にたとえられていたような“契約”行為であっても、ふたりがよければそれでいいと思っている。今週寅子が「社会的信頼度、地位を上げる手段として、私は結婚がしたいんです」と言葉にしたことも、快哉を叫びたいぐらいよかったし。

ただ、現時点で寅子にはない相手への恋愛感情が、優三にはあるということは描かれていて、それは寅子と求めるものが違う(いい悪いではなく「違う」)ととらえることができる。そこにはギャップがあるのではないかと、想像することができる。優三は「見返りを求めたりしない」と言っているけど、それはロマンチックラブイデオロギーに染められた社会に浸りきってきた私にびっしりしみついた従来の観念から考えると「強がり」に類するもののように思えてしまう。そのあとに続く「今までどおり書生の優三さんとして接してくれてかまわないから」まで聞くとなおさら。そのギャップが、生活を継続するうえで埋めがたいものにならないように、つらいものにならないようにと心配している。

ただ、それがギャップとも限らない。そういう恋愛感情が「ない」なんて誰にも言えないのだから。そして、仮に求めるもの(求める距離の取り方といってもいいかもしれない)にギャップがあったとしても、優三がただちに不幸だとも全く思わない。

この結婚は、寅子と優三が条件を提示しあい、双方の自由意志によって合意し履行された“契約”だ。優三の意志を尊重するならば、この結婚で今後優三がどういう思いをしたとしても、それは優三のものであり、寅子が何かを反省したり誰かを不幸にしたというような思いを抱く必要はない。寅子が何をどう思うかは当然寅子個人の自由だけど、その周囲(モニターを挟んだこっち側)にいるひとりとしてはそう思う。

そもそも、恋愛感情をもちあって結婚したふたりだって、関係を継続するためには諸般の調整が不可欠だ。それは恋愛感情以外の結びつきで結婚したふたりだって、というか人間関係全般について同じことだろう。結婚に限らず、そういう調整、努力が必要ない人間関係なんてないのではないだろうか。そういう意味での調整努力は寅子にも必要になるかもしれないが、それは寅子が優三に対する恋愛感情をもっていないことや、「普通ではない」結婚を選んだことに責があるものではない。

さらにいえば、“契約”に合意したあとになって優三が「実は……」と恋愛感情を有していることを告げたのは、寅子にとっては“契約”の合意に著しく影響を及ぼす事項だったかもしれない。優三は「言うつもりはなかった(けど感情の発露として意図せず伝えてしまった)」「見返りを求めない」としており、それは「合意した“契約”の履行において変更はない」という優三の意志を示しているだろう。ただ、いくら優三が“契約”に影響しないと言っているとはいえ、聞いてしまった寅子にとっては聞かなかったのとまったく同じというわけにはいかない。事前に聞いていたら“契約”に合意しなかったかもしれない。“契約”前に告げなかった優三にこそ責があるというとらえ方だってできるのだ。

私は寅子ももちろん好きだけど、優三を好ましく思っているので、優三に肩入れして見ているのは自覚している。でも、恋愛に関心がない指向をもつひとに恋愛を押し付けたいとは微塵も思わない。恋愛伴侶規範あるいは子供をもち家を存続させることを目的としない結婚だってなんだって、当事者双方の合意があればそれでいいではないか。ふたりが幸せなら、満足なら、得たいものを得られているなら、それでいいんだから。

“契約”といえば思い出すのが今週の「燕は戻ってこない」。代理出産契約に合意したあとで、基が「(理紀に対して)いろいろ禁止事項をつけないとな」と(ウキウキめに)言っていたのを見て、私は「おい、それは契約合意前に提示して合意を得るべき事項だろうが」と憤った。契約合意後の条件後出し、ほんと最悪なやつだからな……。ましてや今回のそれは、理紀の身体や生活や人生を大きく拘束するものなのだから。1000万円+αという金額で他者という存在のすべてを「買える」と思うなよ、というその傲慢さとかそういう部分がこのドラマの肝なのだろうけど。

「燕は戻ってこない」にはいろいろな地獄みが描かれているけど、アパート住まいの理紀がビクビクしながら家に帰る描写は本当にしんどかった。あの地獄から抜け出せることだけでも契約を決心する気持ちに共感する。

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