換毛期、貧しさ、エアコン

母が掃除をしていて、「今年は本当に(猫)ちゃんの毛がよく抜ける」と言っていて、やはり「今年は」なんだという実感を強化した。

妹に誘われて、母と3人でサイゼリヤに行った。前に行ったのがいつだったかよく覚えてないけど、1年は経っている気がする。2年ぐらい行ってなかったかもしれない。そもそも外食をほとんどしないので。久しぶりに行ったサイゼリヤは、あんなにメニューからあふれ出ていたワクワク感が消えていた。真イカのパプリカソースがなくなったというのは知っていたけど、あんなにサイドメニューが消えているとは思わなかった。手頃な価格でいろんなサイドメニューをちょこちょこ食べられるあのワクワク感は、もう得られないのか。

肉料理も、以前は熱々の鉄板の上で肉がいつまでもじゅー……と音を立てていて、ソースは小皿に別盛りだったけど、油の跳ねる音も見た目のおいしそうさもない、猫舌には食べやすい温度の肉にソースがかかって出てきた。自身のスマートフォンで注文するシステムは、私や妹には便利だが、母にはそうではない。そしてシステムトラブルがあると注文は一気に流れなくなり、注文が通っているのかどうかすらわからない。

好きだったから残念なところばかりが印象に残ってしまった。また行くだろうけど、私の中での位置づけは明らかに変わってしまった感じがある。でもそれは、サイゼリヤが特別に悪いいということではない。日本という社会が貧しくなったということなのだ。貧しさを生み出している要素はいろいろあるけど、その根本はどこをどうたどっても政治に行き着く。日本で執り行われてきた政治が日本を貧しくした。そしてその政治を長年執り行ってきたのは誰か。

帰宅後、寝ている猫の横でゴロゴロしていたら、ウトウトすることもできないほど蒸し暑くてへばってしまったので、観念してエアコンを入れた。私自身はもう少し保冷剤でがんばれるけど、猫がどうかなったらこわいと思ったのだ。

遅い時間に携帯が鳴り、地震かと確かめると、自民党支持率が悪化したり自民党にとって不利なニュースが出るなどのタイミングで都合よく流れることでおなじみのJアラートだった。クソがよ。Jアラートは警報としての意味をなしていない。本当に警報を発されるような事態になったらどうなるんだろう。そしてこのJアラートで今日の「人形歴史スペクタクル 平家物語」の放送がなくなっていたことを知る。クソがよ。

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