すきなことに手を出すと、最初は集中して取り組む。その時間自体が楽しいし、目指すところに少しずつ近づいていっているように思えるのがうれしい。でも仕事で忙しくなったりしてちょっと時間を空けてしまうと、そのことに向き合うのがこわくなってしまう。ということが、わたしにはよくある。
楽しくやっていたころの、手がなめらかに動いていたころの自分から後退している自分を直視するのがこわいのだと思う。そのころだって全然大したものではなかったし、うまくなくても楽しくやればいいじゃないと思うのだけど、気持ちがぶるってしまう。
でも、そうしている間に世界はどんどん進んでいて、なにげなく見ていたTwitterで同じジャンルの先行者を見かけては「あっそれやろうと思ってたのに!」と小学生の宿題状態になることも少なくない。そうなるくらいなら、だめな自分に凹んだとしてもやっぱりやったほうがいいな。先行者たちと競争するためにではなく、「わたしはこれがやりたいんだ」と確認し、できれば手を挙げるために。
ここのところ「いまの自分にしか書けない(書けなかった)こと」というフレーズを見かけることがたびたびある。わたしが見かけた発言者はどなたもいわゆる成功者に属する方々であり、そのフレーズは当然「いい作品」にかかっているけれど、わたしの場合はといえば「いまの自分にしか書けないこのだめさ、手のぎこちなさ」というところだろう。ま、それでもいいか。日記だし。