公園にて

猫

冬休みに入った姪の家に遊びに行った。全然意識していなかったけど、おうちにおじゃましたのは約2年ぶりだった。まだ仕事が忙しかった年明けを経て新型コロナウイルスの感染が本格化した2020年は、まるまるうかがっていなかったのだった。そういう年月を過ごしてきたのだなということが具体的に像を結んだ。床暖房の家は何度訪れても最高だ。

午後は、姪がいつも遊んでいる公園に行った。歩道ゾーンの説明をしながら道案内をする姪が新鮮だ。ブランコ、なわとび、すべり台。己の横幅はブランコギリギリで、なわとびはひざにくる。そういえば、往路の自転車も(平坦な道なのに)しんどかった。PPKを目指すなら、さすがにこのままではまずい。

姪が私の家に来て一緒に公園に行くときは、だいたい私と姪の2人で、私は姪から目も手も離せない。けど、今日は姪の母(私の妹)と3人だったので、姪と並んでブランコに乗り、姪とかくれんぼして遊ぶことができた。
横並びでブランコの到達する高さを競い合う姪の笑顔は本当に楽しそうで、屈託のなさを絵に描いたようだった。ポケットから携帯を出して写真を撮りたくなったけれど、ただ見ていようと思った。数時間後の今、その笑顔を正確に脳裏に映し出すことはできないけど、そのまぶしさは強く残っているし、写真を撮ったところで結局それしかできないのかなとも思う。それで十分なのかなとも思う。
気合いを入れたかくれんぼは思いのほか楽しかった。

赤ちゃんが歩けるようになって、2人で公園に行けるようになって、自転車に乗れるようになって、高い石垣にのぼれるようになって、すてきな絵を描くようになって、その成長は本当にうれしく圧倒されるけども、他方これから姪が生きていく時間を考えると心配ばかりが募ってしまう。屈託なく笑える日がいつまで続くだろうかと考えてしまう。今日のあの笑顔を見ながら、もしかしたらもうその境目の近いところにいるのかもしれないと思った。だからよけいに貴重なものに感じたのだった。

でも考えてみると、姪はすでに人間関係に囲まれて生活しており、すでにその苦労の渦中にいるのかもしれない。そういう生活の中でも笑える瞬間があるということなのかもしれない。
考えても結論は出ないし私が考えてもしかたがない。石垣から落ちないようにと見守るみたいに、ああいう笑顔が無理なくできる生き方を姪ができるようにと願うしかない。

私が帰ったあと、姪は泣いたと聞いた。この2年の間も会う頻度自体は高く、最近は別れ際にごねることもなくなっていたので、帰るねと言ったときのにこっとした表情もいつものそれの延長かと受け取っていた。むしろこちらのほうが少しさびしいくらいだった。けど、もしかしたらあれも我慢してこらえていたのかもしれない。
今日の楽しさの裏にあった、逆光のまぶしさで見えなかった何かみたいなものを、姪も共有していたのかもしれない。というのは伯母の感傷が過ぎる見方かもしれないが。

ともあれ、私はひざを鍛え、体力・筋力をつけなければならない。自転車がつらくなるのは非常に問題だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です