生活の声

仕事の波がひと段落して、次の波が始まる予定だったのだけど、少し遅れているらしい。このすきに、私は今こそ、片付けを後回しにした結果ものが山積みになった部屋の掃除をしなければならない。ものが堆積して崩れそうなのも、どこに何があるかわからないのも、さわると崩れるから奥のものを取り出せないのもストレスだ。

にもかかわらず、久しぶりにぎっくり腰2歩手前ぐらいの腰痛がやってきた。金曜だったか土曜に起きた時点で最初のグキがきて、それから土曜にチョカの自転車練習をしたときに次のグキがきて、土曜の夜あたりは「ちょっと間違えたらグキッといくな」という感覚があった。日曜のはコルセットをつけて外出していた。ここで万が一にもぎっくり腰をやってしまったらシャレにならない。掃除はちょっと保留にしよう……。

代わりに、パソコン内で整理をせずためこんでいたファイル整理や各種記録を進めることにした。ついでに、動きが堅くなってきていたマウスのトラックボールを掃除することにした。購入後初清掃。
M575のトラックボールを外すと、ボールの留め具部分にみごとに埃が溜まっていた。取り除いてセンサーも念のためさっと掃除して、ボールを戻す。……軽い!! ボールの抵抗がない1! もっと早く掃除すればよかった。最高に軽い。
あんまり頻繁に掃除するとかえってセンサーやパーツを傷めてしまうかもという懸念もあるけど、マウスの操作性だけを考えたら、ちょっとでもひっかかりを感じた時点で迷わず掃除したほうがいいな。ストレスも手の疲れ方もまるで違う。

この埃を取るときに、先日つくった老眼鏡を使った。こちらも最初の実用機会だ。
感想としては、「手元めっちゃ見える!」。ざっくり計測でいうと、いつもかけている普通のめがねでは、25〜30cmより近づくとぼやける。他方、老眼鏡をかけると18〜20cmくらいのところでもしっかり見える。これはいい。試しに手元で文字を書いてみたが、それもぼやけない。これはいい。

……なんだけど、あと3cmぐらい近くで見えるようにしてもよかったかもしれない。
めがね屋さんで伝えた「だいたいこのぐらい(で対象物を見たい)かな」という要件が2〜3cmぐらいずれてたかもなあ……。
有用な老眼鏡をつくるためのポイントは、用途と距離という要件を明確にしておくこと。それが肝心。それさえはっきりしていれば、あとはめがね屋さんが合わせてくれる。そのことがよくわかった。
老眼の度合いって、これから変わっていくのかなあ。もしそうだとしたら、私はまたいつか老眼鏡をつくるだろうから、そのときにはこのことを忘れずに生かしたい。

◆ ◆ ◆

西森路代さんが先日Twitterで、「私、先日、島忠でツーバイフォー三本とワンバイフォー五本買って、カットしてもらって、少し小さめのセミシングルショートのベッドというか、ソファにもなるデイベッドをDIYしたゆですけど、すごく初心者として知り得たことがたくさんあったので、ブログをそのうち書きますね。写真とともに。」と投稿されていた。

私はそれを読んで、その経験談むちゃくちゃ聞きたいわ〜〜〜〜〜〜と思った。同じような生活環境にある方が、DIYをいかに実現できたか、その体験談がぜひ聞きたいと思った。
その気持ちがほとばしった私の投稿に対して西森さんがレスしてくださって、「自分で運べるようにするために、事前にカットの仕方、デザインなども工夫した」「ドライバーはけっこうパワーがないものでないとなかなか難しいんですが、それも一泊330円で貸してもらえる」ということも教えてくださった。

私はこの一連の投稿を読んで、もしかしたら私もDIYできるのかもと思った。車がなくても、賃貸でも、道具がなくても、DIYできるのかもって。諦めなくていいのかもって。そう思ったら、大げさでなく人生にちょっと光明がさしそうだと思った。

で、思った。昔、それこそインターネットが普及してGoogleが出てきた頃は、こういうノウハウや、ノウハウ以前の経験談をネットで(個人のサイトで)読めて実際に参考にできることがすごく貴重だったよなあって。今みたいに、Googleが自社の利益のために検索結果を操作し、いかがでしたかブログが氾濫し、出典不明のコピペ情報で「メディア」が構成されてしまう前のインターネットでは。
その時代だったら、老眼鏡をつくる前に私はきっと検索してたよなあって(もっとも、私が今回めがね屋さんに行ったのは検索が億劫という、自分の調査体力のなさによるところも大きいけど)。

こういう生活の声を、私は聞きたいし発したい。この日記も含めた自分のサイトでも、これからつくるZINEでも、そういうことがしたい。
といっても、それは直接的に「役に立たせるため」じゃない。結果的にそれは誰かの役に立つかもしれないけど、それが目的じゃなくて、生活の声を気軽に発したいし発してほしい。その声が誰かの琴線にふれ、誰かを励ますかもしれない。ひまつぶしの読み物になるのでももちろんかまわない。

私がとりにくさんや田淵さんやたまに耳かきさんのZINEに励まされたように、あるいは西森さんのツイートに光明をさしてもらったみたいに、本屋・生活綴方さんの「文藝こうほね」が「生活のことばを集める新聞」を志しているように、自分の声を詰めたボトルメールを放流したいと思った。

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