参議院の法務委員会が開かれる日。採決が強行されないかどうか、多くの人が固唾を呑んで国会の様子を見ている。
ただでさえひとの命に関わる重大な法案なのに、立法事実すら証明できておらず、昨日の意見緊急交換会でも示されたように明らかにすべき疑義が放置されている。そんな状態で採決なんて、でたらめにも程がある。そんなことが国会で許されていいわけがない。でも。
最後の順番であった日本共産党の仁比さんまで発言が終わり、委員会は休憩に入った。仁比さん、昨日の意見緊急交換会でもそうだけど、今日の法務委員会でもひとのために、ひとの命と人権のためにまっとうな話をしてくださっていた。仁比さんだけじゃないけど。
この休憩で与党+ゆ党と野党の攻防があり、その末に採決は行われず、散会になった。
【速報】入管法審議の参院法務委。仁比議員の質問の後、委員会を休憩して理事会を開催。席上、委員長が職権で採決の姿勢を見せる中、立憲民主党が14:37に法務委員長解任動議を提出。委員会は流会となり今日の採決はなくなりました。 廃案めざし、さらに声を広げよう!
日本共産党 井上哲士議員のツイート、2023年6月1日午後3:12(https://twitter.com/21csts/status/1664153044404109312)
今日は採決はないということだ。今日は。止まっていた息が思わず漏れた。心臓に悪すぎる。でももっと心臓にきつい、生死と隣り合わせのような毎日を過ごしている人がいるんだ。
そのあと、こんなツイートをした。
〈与党や衛星政党の横暴によって、毎日心臓に悪い思いしてる。今日は強行採決を回避できて一瞬ほっとして昼ご飯食べるか……と思ったらそのご飯は値上がりしまくってて、病院に行くための健康保険証すら取り上げられようとしている。賃金はいつまで経っても上がらない。こんな政治のどこを支持できる?〉
自分のTwitter(https://twitter.com/muku_dori_/status/1664149964392648704)
私はTwitterでは数多くのアカウントをブロックしており、積極的/消極的自民党支持者の大半に、私のツイートはおそらく見えないだろう。見えたとしても、私の言葉は届かないだろう。それでも言わずにはいられなかった。こんな政権を支持しこんな悪政を生み出しているひとに。
この時点でもうどちらかというと夕飯に近い時間になっていた(うちの夕飯はめちゃくちゃ早い)。仕事もZINEも全然何も進んでない。何も手についてない。手につくかよ、こんな状態で……。
SNSで差別・排外言説や政治に抗うひとを、「正義を振りかざして、エコーチェンバーの中で承認欲求を満たしてるだけ」的に言うひとがいる。右翼、積極的/消極的自民党支持者サイドだけでなく、左翼、野党支持者サイドにもいる。
でも、こんなにリソースを使うこと、こんなにしんどいこと、承認欲求だけでやってられない。そこまで暇じゃないしそこまで余裕ない。毎日かつかつだよ。そのかつかつのリソースをなんで使っているかといえば、生存のためでしょうよ。自由を奪われることなく、安心して、死ぬまで生きていける社会にするためでしょうよ。そうしないと自分が死ぬからでしょうよ。決まってるじゃないか。こんな、ひとの命奪いに来てる政権を目の前にして何言ってんの。と思う。
悪政によって弱いひとの命や人権が侵害されることがある。その悪政に抗うとき、「そのひとが大事にされなければ、次は自分たちが大事にされなくなるよ」と、「情けは人のためならず」的論法で主張することがある。でも本当は、私やあなたがどうあろうが、一人ひとりの命や人権はそれ単体で大事にされる権利があるものなので、その論法はあまりよくないね、というところまでセットになるやつ。
それは本当にそうだと思うし、悪政に抗うことには(特に有権者として)社会的責任もある。でも究極的には自分の生存のためにやっていることだという意識もある。「自分の生存が確実に保証されたらやらないのか」と言われればもちろんNOだけど、私のための抗いでもある。私以外のひとのためだけに怒っているわけではない。でもひとのことを思って怒ってもいる。
そんなだから仕事は手につかないし、仕事が忙しい世間のひとが悪政の監視や抗議にまで手が回りきらないのは、それはそうだと思う。政治の監視だって本来はマスメディアの役目なはずで、政治にしろ監視にしろ、人民の「代理」なはずなのに全然業務委託できてないんだけど。特権ばかり行使しやがって。
夕方は入管法改悪反対緊急街頭集会の中継を見た。
野党議員有志による有楽町の街頭集会、衆議院の法務委員会で可決されてしまったあの日から始まったんだっけか。
街頭集会、国会前の集会、高円寺や渋谷のデモに立つ野党議員有志の方が発する、市民に向けて語りかけていると感じられる言葉や姿にいちいち泣きそうになる。そんなの、本当は当たり前であるはずなのに。
夜、このようなツイートをされている方がいて、本当にその通りだと思った。
夜といえば、Twitterのトレンドワードに「帰宅難民」という言葉が入っていた。
明日の悪天候の影響で帰宅に困難が生じる可能性があることを心配したひとたちのツイートによるもののようだった。
今このときに「帰宅難民」という言葉を使えてしまうひとが少なからずいる。そのひとたちは入管法改定案のことを知っているだろうか。知ったらどう思うだろうか。……おそらくどうも思わないか、差別・排斥にかかるひとが多いのではないだろうか。
ここが間違いなく、与党やゆ党の横暴を生み出している社会なんだと実感した。その横暴の矛先は、遠からず自分に向くだろう。そう思うと震えてしまう。
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こういう、気持ちが落ち着かない今みたいなときは、単純作業が一番適している。けど、今はちょうど仕事の谷間。本来は昨日始まる仕事があったはずなのだがまだ連絡がこない。こういうとき、プッシュするか静かに待つかは、クライアントとの関係や案件の性質、自分のスケジュール次第で決まる。今回は待ちの態勢をとった。そういうわけで谷間にいる。
せっかくの貴重な谷間だから、ZINEを進めようと思った。日記ZINEは日記を書くことができればかなり進む。けど、今考えているZINEはそれ以外にもあって、そっちは構成から練る必要があって、それがなかなかまとまらないでいる。どっちも考える作業が伴い、単純作業とは違う。思考作業に入ると気持ちのわだかまりに引っ張られがちだし、調べ物をするとついSNSに寄り道してしまう。「あれ、今日何してたんだっけ、何できたんだっけ……」と落ちこむ数日だった。
でも、久しぶりにとてもうれしかったことがあって、それは自分のZINEをネットプリントで印刷・製本してくださった方がいたことだ。むちゃくちゃうれしい。
製本作業がおもしろかったとおっしゃってくださったのもうれしい。わかる。おもしろいよね、あれ。平面が冊子になるあの感じと、工作的な作業としてのおもしろさの両方がある。私も製本作業だけしてたいなと思ったもんね……。
もともと、ひとのかいたネットプリントに「ひとり」の生存を肯定されたような気持ちになったところから始まったZINEつくりだった。あちこちでZINEをつくってネットプリントに登録する「ひとり」たちが、私にとっては空の星にも、公園に点在するベンチに座る個にも見えていた。その星が描く星座、ベンチで隣り合うひとの線の中に、いっとき混じることができたような気持ちになった。
何より、私がSNSでつながっているひと、これからも(何らかのかたちで)そうあれたらいいなと思っていたひとに印刷してもらえたので、もうなんか、この感慨をもって死ねたら言うことないなと思った。生存のための抵抗のための活動なんだけど。このことは、これから自分を生かしてくれる力になるし、苦しくなったときにこのことを思い出すだろうなと思う。
いろんなジャンルの作家さんが「感想うれしい」っておっしゃるの、こういうことなのかな……。感想下手で躊躇しがちな自分を反省する。
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あ、それでいうと1個思い出したことが。
去年の夏、インボイス制度反対運動の一環で、1件記事を書いた。インボイス発行事業者に登録すると、登録した個人情報が第三者から閲覧可能な状態になり、それによってさまざまな危険が生じることが明らかになっている(その後表面上の改善がなされたが、本質的にはクリアされていない)。そのことを解説した記事だった。
これがTwitterで好評で、「わかりやすい」という言葉での評価をいくつも見かけた。ここでしか書けないから自慢してしまうが、1つや2つではなかった。あのときの投稿、スクリーンショットとっておけばよかったな。あのときも、すごくうれしかった。
あのうれしさは、自分の技量が評価されたうれしさだった。ライターとして(も)仕事をしてきたこの数年は間違っていなかったと思えたし、一定の力をつけることができているのだという自信になった。
けど、今回のZINEのうれしさはそれとは全然違って、自分の存在の根本に訴えかけてくる感じがする。