重力に勝てない

今日はなんか力が入らない。梅核気も相変わらずきついし、なんか重力に勝てる気がしない。グッド・オーメンズを見るためにマウスをクリックするぐらいしか体に力を入れられる気がしない。でも、トイレに行くために立ち上がったついでに、えいやで運動した。えらい。ついでに猫の尿採取に成功した。えらい。

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動物病院は自転車で往復で30分弱。平坦な道でさほどつらくはない……はずなのに、今日はペダルがすんごい重くて、自転車のギアを間違えているのではないかと思うほどだった。ささやかながら運動しているのに、なぜ最近のほうが自転車をきつく感じるのだろう。暑いからかな。

スーパーや動物病院とかへの外出は、KF94マスク、キャップ型ヘルメット、その上から長袖パーカーのフードをかぶることが多い。これが夏場はちょっとしたサウナみたいになっていて、帰宅してヘルメットをとると、頭から湯気が出ている気がする(ヘルメットの中は汗だく)。もしかしたらそういう状況も関係あるのかもしれない。かといってこれらははずせないし、そもそも息が上がる前から足が重いんだよな……。

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そごう・西武労組のストライキの実施が決まったとのこと。ストライキの実施は労働者の権利、とはいえなみなみならぬご苦労があったはずで、こうして声を上げる姿を示してくださることに感謝と敬意をもっている。労働者としても、そごう・西武ユーザーとしても、ストライキを支持している。がんばってください。

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夜、差別の指摘をすること/受けることについての投稿をMastodonにした。

(以下、その投稿内容自体は記載しておらず、差別言説の引用など直接的な言及もしていませんが、念のためスペース空けます)

青空にトビ

今日力が入らなかったのは、このことを考えていたからというのが大きい。さまざまな要因が絡んでいるとはいえ、あるひとが精神的に追い詰められた状態になってしまったことをどうしたら防げたのか。自分の無力さ。SNS上で行き違う言葉のかみあわなさ。

自分の思うところをMastodonに投稿することも悩んだ。考え自体まだまとまっていないし、自分の投稿自体が誰かの傷になり得るかもしれないと懸念したから。でも、黙って見ていて、見ているわりにだれかの言葉に「いいね」をしたりBTをしたりするだけの自分に耐えられなくなったので書いた。

折しも数日前に、Twitter上では「公開の場で『あなたの言説は差別である』と指摘することは悪手なのではないか」というツイートを繰り返しているひとがいた。ここで俎上に上がっているのは、これまでに数多のやりとりがなされてもなお差別言説を繰り返してきた存在であり、もし指摘の手法について真剣に議論をしようと思うならその経緯を前提とすることが不可欠であった。でも、当該人物は経緯を何も知らずに(知ろうとせずに)高見から「悪手」などといってみせていた。それに対して真剣に指摘をするひとがいたのは、大げさでなく社会の希望だと思うけれど、残念ながらその指摘に真摯に向き合われることはなかった(私の観測する限りでは)。あれとこれとは全然話が違う。

そう、どれも全然話が違う。だから、「差別に抗うためのただひとつの正解」みたいなものはない。それは十分わかっている。では、今回はどうできたのか。そんなような考えが頭から離れず、その途中経過を投稿し終えた頃には、もう仕事をする気力は残っていなかった。無理無理、今日は閉店です。

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