やること負債がどんどんたまっている。毎日「今日もできなかった」と思いながら寝ている。
来週の予定を考えていたけど、うまく予定を組み合わせることができなかった。
あと、とにかくZINEをひとつつくろうと思った。今までのようにIllustratorでつくるか、PDF化を想定してInDesignでつくるか。でも、InDesignでつくったときに、16面付けをどう実現するかがわからないんだよなあ……。今日もそれを調べていたけど、結局方法は見つからなかった。ここで止まっているとまたよくないほうに精神状態が向いてしまうから、とりあえずIllustratorでつくろう。
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昨日、ひとりで泣きたいときに思う存分泣ける場所を考えているときに思い出したことがある(以下、ペットロスに関する言及があります)。
今飼っている猫は、私が私の意志で私の家族として迎えた猫としては2匹目だ。
1匹目の猫は、迎えてひと月ほどで亡くなってしまった。FIP(猫伝染性腹膜炎)だった。まだ生後3カ月だった。20年一緒に生きるつもりでいたのに、あっという間にいなくなってしまった。
あのとき、すでに親が家にいる状態だった。いかに親の前では泣きたくないとは思っていても、さすがに涙が出た。けど、だからといってそのまま泣き続けることも抵抗があって、猫に手向ける花を買いにイオンに行った。
当時そのイオンにはいくつか座る場所があって、私は酒を買ってしばらくそこで飲んでいた。公衆の面前というべき場所で飲酒はほめられたことではないし、トラブルのもとだ。禁止事項に抵触しないかと掲示物を確認したが、そうした記述は見当たらなかった。私もそこで何缶もあけたわけでもない。ちびちびと口をつけて、何も考えられない頭と何も見られない目を麻痺させていた。あのときもまあまあ涙は出て、鼻をすすっていたけど、やっぱり号泣はできなかった。
あの時期も今と同じく、ひとりで思う存分泣ける場所はなかった。しばらくは、家でもそれこそ夜中とかに細々とは泣き続けた。でも、思う存分はいまだに泣けてない。亡くなるまでの経緯がつらすぎて今も直視できていないから、というのも大いに影響しているけど、ひとりで泣ける場所があったら心持ちはまた違ったのではないかと思う。
先月末は、その猫の命日だった。ひとりになれる時間を見計らって、猫の骨を眺めた。生きているときのようになでたかった。5年経ったけど、まだ全然冷静に振り返れない。記憶の扉を開けるのがつらい。少しだけ開けてみるだけで目が熱くなって、あわてて閉じる。あの猫が生きていてくれたら、今の私はどう在っただろうか。いてほしかった。