今週は結局、12/5とだいたい同じような日々を過ごした。仕事をしなければならない。早く終わらせて納品し、次の仕事にかからなければ。約束した納期にはまだまだ余裕があるが、時間がかかかればかかるだけ時給換算で報酬が減り、別の仕事で報酬を獲得するための時間が減り、生存に思いっきり直結してしまうからだ。でも集中できない——。
その主な原因は、KADOKAWAの差別扇動本だ。5日の深夜に長文の返信を書いたところから、精神状態も生活のリズムもガタガタになっていた。さらに、出版を是として憚らないマジョリティ、「検閲」「言論弾圧」「言論の自由の迫害」「表現の自由の侵害」などの言葉を雑に扱う者たち、すでに示されている数多の情報を参照しようともしない怠慢、そうしたものが(主にTwitterに)あふれかえっていることに、怒りが止まらなくなってしまっていた。
その怒りの一部はTwitterのドブ川に流した。あのドブ川を流れるマジョリティの言論や差別・偏見に対する怒りは、あのドブ川にこそ流すべきだと思ったので。でも、冷静に考えると、そうしてマジョリティ対マジョリティでぶつかりあっていられるのは、私自身が多くの面で(特に本件に関しては)マジョリティだからだ。本件にまつわる差別に、自身の生存を脅かされる心配がないからだ。そのぶつかりあい(「あい」といっても私が一方的に言を投げつけていただけだが)は、氾濫する差別言説に存在を脅かされているマイノリティに資する言動になっていたのか、そのことを常に忘れることなく言論を発していたのか、といえば、その自信はない。
私は、私の怒りをドブ川に投げつけて悦に入ることができるほどのんきではない。こんなのはつらく苦しい作業でしかない。でもすべきだと思った。実存にまさる「出版」などない。誰かの人権や尊厳を踏みつけにして守られるべき「出版」など存在しない。そのことは明言しておくべきだと思った。弱小個人であっても。それでも、その怒りをメッセージとして社会に投げ込むとき、その目的は何なのか、何に資するメッセージにしたいのか、を考えることは大切なことで、でも今回そのことから目を離してしまった瞬間があったことは事実で、それではいけないと思った。何のためのメッセージなのかを忘れてはいけないということを忘れてはいけない。
今週は本当に、この怒りが内面で渦巻いていて、実際発言に時間を費やしたりもしたので、パレスチナに連帯する行動がその分減ってしまった。これも反省している。メールアクションしたりプラカードのネットプリント情報を共有したり、最低限できることはしたのだけど、時間があればもっとできることはあった。
あと、まったく別に、「差別に反対する」と明言している人物から差別や偏見を大いに含むあるブログ記事が呈されたことについての理解も遅れた。正確にいえば、これはリソースの問題のみならず、「あの人が? え? え?」とかたまってしまったがゆえの遅れもあった。このことも本当によくなかった。つまるところ、怒りは大切だけど、怒りに振り回されてはいけない。あとTwitterの報酬系の刺激にも、それからSNSでの応酬を通じて鼻息のあらいやりとりに慣れてしまうことにも。自分を奪われてはいけない。
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本来の私の土曜日は、チョカと過ごす日兼休む日であるはずだけど、今日も結局少し仕事をしたので「休む日」にできなかった。それでも土曜日だし誕生日も過ぎたことだし、頭の中の回転を止めて体内に溜まった澱を放出する時間がほしいと思い、寝る前に映画を見ることにした。登録してある「見たい作品リスト」をスクロールして、最終的に『さらば、わが愛/覇王別姫』を見ることにした。これが一番心情的にストライクに近かったからだ。といっても、どのような映画かはまったく知らず、あくまで印象の話。
約3時間の超大作。まさかここでも日本軍が出てくるとは思いもしなかった(映画のことは知らなくても歴史を知っているひとなら予測できたのかもしれない)。クソなのは日本軍だけじゃないんだけどさ……。それに、パレスチナの状況と重ね合わせて見てしまうような描写もあった。政治のことも考えない時間を求めたつもりが、「やはりどんなに逃げようとしても政治からは逃げられないんだな」と痛感するに至った。レスリー・チャンが最初から最後まで鬼気せまる美しさで、とにかくすごかった。
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誕生日はもはやめでたくない。強がりではなく、特別な思いが何も浮かばない。まかりまちがって親から言葉をかけたりされないように、とむしろ多少警戒するぐらいの日だ。でも、チョカに祝ってもらえるのはうれしい。今年は、メッセージカードに自筆のイラストを描いてくれた。チョカ親(私のきょうだいとその配偶者)からのプレゼントが入った箱を使って工作をしたい、と言うチョカの姿もうれしかった。チョカは紙で猫の家をつくり、私は毛糸とこれまでにつくったレジンでクリスマスリースをつくった。お昼は牛乳にイチゴジャムを混ぜてオリジナルドリンクをつくった。帰りは2人で、自転車で落ち葉を踏みしめる音を聞き、紅葉する木々を見て、おしゃべりしながら自転車をこいだ。その時間こそが、今日が何日であるかにかかわらず、かけがえのないものだと思った。