蓄積

連日「12時半だと思っていたら13時半だった」現象が続いている。それは私の午前中の過ごし方(猫の世話とSNSの反復など)に原因があるのだということはわかっているけど、それでも、脳の時間を認識する部分に何らかのエラーが生じているのではないかとちらっと考えてしまう。おそろしい。

昨日は世界人権の日で、改定入管法の施行に反対するアクションやパレスチナに連帯しイスラエルの民族浄化に反対するアクションが各地やネット上で行われた。今日はガザのためのグローバルストライキとして、以下の内容が呼びかけられている。

  1. 買い物をしない(現金でもオンラインでも)
  2. 銀行口座を使わない
  3. 家から出ない
  4. パレスチナのこと以外にFacebookとInstagramを使わない
  5. #StrikeForGaza のハッシュタグを使って投稿する

世界では、商店街の全店舗がシャッターを下ろしてパレスチナに連帯しているようなところもある。多くの、本当に多くの人が、パレスチナで行われているジェノサイドに傷を負い、命を奪われ、家族を奪われ、場所を奪われ、自由を奪われ、心を痛め、怒り、反対の声を上げている。でもまだ止められていない。

先週見た、ガザでパレスチナの民間人がイスラエル軍によって裸にされ連行されていた姿は、本当にこたえた。あるマンガ(とそのアニメ化)作品で、やはり裸で連行された“捕虜”が並ばされるシーンがある。私はもう、あのマンガを平常心で読むことはできないだろう(そもそも「今まで平常心で読めていたのが鈍い」というのはその通りで)。

それから、そのあと見た、ガザへの支援物資にイスラエル兵が笑いながら火をつける様子には、涙が出た。ガザで動物保護活動をしている団体の方は、枯渇する動物用物資の援助を求めて必死に投稿していた。物資を調達できても、ガザへの持ち込みをイスラエルが許可しなければ実現しないのだと書いていた。パレスチナの人びとが求めているのは停戦であり自由であり解放であるけれど、目の前の食料や医療物資も重要に決まっている。そうした状況で、命をつなぐ物資がすぐそこまで来ているのに、その物資は笑顔で燃やされている。あれを見て、殴られたような気持ちというのはこういうことかと思った。もつべきは構造に対する怒り、そういう非人道的な行為をさせているイスラエルという国家に対する怒りだけど、画面の向こうで笑う実行者に対する憎しみを感じないわけではない。

とにかく目の前の虐殺を、民族浄化を止めるまで、できるときにできることをするしかない。忘れようと思っても忘れられるわけがない。それでも精神的にダメージが蓄積している感じはあって、そういう日々の過ごし方をちょっとなんか考えないといけないという危機意識がある。もっと多くのひどい光景を直視して伝えてくださっている方もいるし、何より現地では映像ではなくそれが実際に起こっているわけで、私がなにダメージ受けてるんだ、と思うけど、事実は直視しないといけない。反対を反対と言い続けていくためにも。

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仕事、今日も進んでない。それは引き続き気がかりなことが多すぎるからでもあるけど、今着手している原稿にてこずっているというのもある。なんというか内容がふわっとしていて、1本の記事にまとめる構成を描けないのだ。だからテキストエディタに向かうのがつらくて逃避しているという部分もある。でもやらないと終わらないからな……。

そう思ってどうにか画面に向かってはいたのだけど、日付を越える少し前あたりから急激にものすごい眠気が襲ってきて、それに抗っているうちに突然落ち込みに変わった。久しぶりにでかめの落ち込み。心のテトリスが一気にGAME OVERになった感じ。疲れてんのかなあ……。疲れるほど何かを成したわけじゃないけど。憂しことが多すぎて仕事に集中できない→仕事が遅れる→なけなしの可処分時間を投入する→時間の余裕がゼロになる、というサイクルにはまっていることで疲労をためこみ、追い込まれてしんどくなっている気がする。

このサイクルにはまってしまうことで日記も書けなくなり、その合間合間にわずかにあったよかった出来事が、日記に書き留める前に流れていってしまう。このこともまた、落ち込みに拍車をかける。頭にもやがかかったみたいに落ち込みが広がって深まってひどくなっていく。諦めて一旦少し寝て、起きてジャムを食べたらちょっと冷静さを取り戻した。ジャムほんとおいしい。つくってよかった。命をつないでもらっているような気すらする。またパレスチナの人のことを考える。明日は仕事にケリをつけると決めて就寝。

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