朝起きるも目が開かない。ここ数日、確実に寝不足感がある。基本的に睡眠時間は確保していて、心当たりといえば早朝に猫に起こされることぐらいなんだけど。ここのところ本当に疲れてる感覚がある。先週以来いろんな怒りに追われて仕事が押しているからだろうけど、具体的にしていることはといえばそんなに疲れるようなことではないはずで、違和感はある。でも事実疲れているから、それは認めなければいけない。この体調で遠出したら、明日は寝込んでしまうかもしれない。今日の予定の選択肢は2つあったけど、そのうちの1つは断念することにした。
以前にオンラインでレクチャーを受けたフェルターの方から、「過去の受講者に特別割引クーポン」のお知らせがきた。彫刻的フェルトのノウハウを学べる機会、超絶貴重なので受けたいのは山々だけど、日本円換算で3万円なの。3万円。今の私には大金すぎる。そういえば、この方が以前にアーカイブ配信してくださった無料ワークショップの動画があったな……と思ったら、公開終了していた。私のずぼらと貧乏と円安(を招いた政治)が悪い。3万円……。
仕事のファイルなどをいろいろ整理して、2つ目の選択肢である買い物に出かけることにした。着替えて、猫のご飯を用意して、荷物を詰め、鍵を取り出そうとするも、鍵の感触がちょっと違う。自転車の鍵しか手にさわらない。どこかに置きっぱなしにしていたかな。たまにあるんだ、家の鍵をそこら辺に置いたままにしていて、定位置に戻していないことが。それとも、イヤホンにからまっているのかもしれない。心当たりを探る。ない。ちょっと焦りはじめる。
「出かけて帰ってきてちょっと置いとくならここかな」の場所。いつもの置き場の下。出かけたときに着ていた服のポケット。部屋着のポケット。外に出るときに使うバッグ。財布。洗濯された服のポケット。洗濯機の中。下駄箱。さっき片付けた袋の中。机の上。布団の上。毛布のしわの間。キャットフードを入れてある収納ケースの中。それらを三巡か四巡ぐらいして、1時間ぐらい経った辺りで外出を諦めた。こんな精神状態で出かけられない。心中では半べそをかいている。
落ち着いて考えてみる。私は自分の鍵で出かけて自分の鍵で家に入るので、外で落としてはいないはずだ。が、昨日ごみ捨てに行ったときに母の鍵を借りた気がする。あのときに自分の鍵を落としてたら? いや、それ以前に、そのごみの中に鍵を入れてしまっていたら? その可能性を排除しきれない以上、家の外にないとは言いきれない。でもまずは、家の中にある可能性が高いとみておこう。
念のためポストや集合住宅の掲示板などを見て回って、服を部屋着に戻し、掃除兼部屋の大捜索を行うことにした。どうせ年内に一度は掃除しなければならなかった。その分を前倒しにしていると思えば、むだな行動でも追加作業でもない。でも「今やらなくても」なことではある。家にいるならすべき仕事もある。明るい気分で掃除ができるテンションではない。
掃除しながらも考える。
外で落としている可能性が一番こわいし、「あるべきものがない」という状態自体がとにかく心を重くしはする。けど、前述の通り家の中にあるのだとすれば防犯上は安心できる。間違って何かと一緒にごみと捨ててさえいなければ(捨てているとして、個人情報と一緒になっていなければ)。
そして、このまま鍵が見つからなかったとして、鍵をつけかえるとしたらいくらぐらいだろう。3万円ぐらいかな。3万円。フェルトのオンラインワークショップを受けられる金額。でもどうにかなることはなる金額だ。契約時の鍵のつけかえ費用やスペア作成費用を考慮しても、何十万円も支払うわけではないと推測できる。大丈夫だ。
そう考えると、だんだん落ち着くことができるようになってきた。というより、諦めることができるようになってきた。いざとなったら鍵を交換すればいいんだから、大丈夫じゃん。よし! と、少し気持ちが(カラ元気だけど)上向いてきた。
部屋を掃除して、「もしかしたらまぎれこんでるかも」の書類群と袋群を片付ける。ない。最後に家の契約書類と契約時の支払い明細を見て、鍵に関する事項を確認する。ここで最終的に「いざとなったら交換」への道筋に確信を得て、管理会社にメールした。私はやりきった。よくやった。もう心配ない。それでも10分に1回ぐらいはため息が出る。掃除は来週あたりする予定だったことだけど、鍵の出費はもともとはないものだった。私がちゃんと生きていれば、出ていかずに済む金だった。同じように出ていくのだとしても、それは鍵ではなくフェルトのオンラインワークショップにできたかもしれない金だった。そう思うと、1日を生きるために48時間費やしているような気持ちになった。私は何のために生きているのか。
とりあえず、鍵につける紛失防止トラッカーを買うことにしよう。最近はどの商品がいいのだろう。これも3000円から4000円程度する。私がきちんと気をつけていれば必要なかった出費だ。どうせなら母にも買っておこうかな。
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そう日記を書いて自分の心情にひと区切りをつけ、仕事した。こういうとき、作業的要素の強い仕事はありがたい。手を動かすことで集中できるから。もうひとつ、私が気を重くしていた「プレゼント購入ダブり問題」が、偶然にも起こったアクシデントにより一方をキャンセルすることができたのも精神の安定に幸いした。
1日をどうにかのりきって、寝る時間になった。掃除中に退避させていた布団群を部屋に戻す。敷き布団、毛布、枕、かけ布団、全部部屋に戻して何もなくなったはずのところに、見慣れたキーホルダーと鍵があった。怒るでも驚くでも笑うでもなく、「ああやっぱりね」という気すらした。まるで何かの寓話みたいだと思った。「なんとそこには、なくしたと思っていた鍵があったのです」というナレーション調の状況説明がしっくりくる光景だった。
考えてみれば、ごみ捨てに行ったときに母は出かけていたので、母の鍵を借りることはできない状態にあった。つまり、私は自分の鍵で外に出て自分の鍵で帰ってきたことになり、やはり鍵は家の中にあったのだ。捨ててもいなかった。あのときに鍵をポケットに入れてて、そのまま寝たときに、ポケットから鍵が落ちたのだろう。布団も何回もバッサバッサとふって確認したはずだけど、やっぱりもろもろ冷静ではなかったんだ。とりあえず毎日寝る前に、鍵が定位置にあることを確認することにする。そしてトラッカーは買う。