ただよう時間

以前は、酒を飲んでふわふわする時間が好きだった。とくに人といるときには。自分と人との境界がふわふわしはじめる、あの瞬間がとても好きだった。

でも最近は、このふわふわタイムを満喫する余裕がなくなった。もう会う人もいなくなり、酔って生産的なことができない時間にひとりでただよっている余裕もなくなった。あげく翌日の残り方も年々ひどくなった。トータルで、飲酒によって「使えなくなる」時間や自責の念といったマイナスが大きくなってしまったのだ。昨今はノンアル飲料もおいしい。ノンアルのスーパードライを、イオンの小さい氷の中にそそいでごらんなさいよ。めたくたおいしいから。そういうわけでここのとこ、半年以上1年未満くらいの単位だけど、アルコールの必要性を感じなくなった。

ところが最近、好きな酒を見つけてしまった。酒だから好きなんじゃなくて、とにかく味が好きというのは初めてだ。あの味ならアルコールなしでも全然かまわない。けど非アルコール飲料にあの味が見つからない。だからたまに買ってしまう。買ってしまうと、たまに飲んでしまう。今日はその「たまに」の日。やっぱりおいしい。そしてふわふわする。いいんだ、あと寝るだけだから。明日も喫緊の仕事もないから。

あるとき、急ぎでお願いできないかとお声がけをいただいた仕事を引き受けて、希望通りの期日に収めた。
納品期日が最優先であったが、そのなかで最大限の品質を提供した。
わたしの見積もりが甘く、計算していたより時間がかかってしまったけど、拾うべき球は拾った自負はある。

しかし、クライアントから返ってきたのは「珠上げすぎじゃねえの(笑)」であった。
こちらにしてみれば、珠が落ちてきたからレシーブしたのであって、かごの中の珠を自分で拾ってきてサーブしているわけではない。
そっちが落とした珠を拾っているだけなのに、「珠上げすぎ(笑)」と茶化された。わたしはそう受け取った。

基本的に、クライアントワークはちゃんと金になればよくて、精神的な満足度をことさら必要としているわけではない。
それでも、自分の仕事をあざ笑うような真似をされるのは、かなりしんどい。
あの茶化しは、わたしの仕事が要求に合致していないことの円滑な表現なのかもしれないが、それなら直球で言えばいい。
今週の大豆田とわ子で、契約の締結をはぐらかされるまま仕事を進めて金でもめるという話があり、やっぱ書面だよなと痛感した。

そういう出来事や、明日には忘れておきたいTwitterのクソリプなどがあり、今日は酒を飲んだ。やっぱりおいしかった。でも明日の朝はちょっとつらいだろう。
毎日、どこ向いてもつらい。

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