まったく初対面の方との打ち合わせ、かれこれいつぶりだろうか。
一応ちゃんと話せたとは思うのだけども、考えてみればこちとら金髪だし、スーツでもないし、名刺も古い住所のだし、どういう印象だったのだろうなあ……。
あとは仕事をちゃんとするだけだ。
打ち合わせの場所は往来に面しており換気も万全だったので、寒さ対策にストーブが焚かれていた。
ストーブは久しぶりだ。引っ越す前の実家以来ではなかろうか。やっぱりストーブは強い。
ストーブのあたたかさと緊張による発汗、打ち合わせ後に外で少し立ち話をしたときの冷え、思い出し緊張、これからの仕事に対する緊張、自転車移動の疲れ、帰宅後のラーメンで、食後はもうノックダウンだった。
2時間くらい昼寝(昼じゃないけど)したのに、25時前のいま、すでにもう眠い。
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姪はふわふわしたものが好きなんだな、というのは赤ちゃんのころから知っていた。
でもこないだ、私が自分用に買ってきたサンレモンのぬいぐるみを姪が見つけて、「……かわい〜……」とため息まじりに何度も何度もなでている姿を見たときは、「こういう姪は知らんかったなあ」と思った。
そして、いま姪の誕生日に向けて用意しはじめているプレゼントより、一番喜ぶのはこうしたものなのかもしれないなと思った。
最近、ポリエステルの使われたふわふわ製品の手ざわりの魅力についてよく考える。
テディベアはモヘアやアルパカなどを使うのが基本で、そうした「本物」の素材を使うことによって長持ちするものになる……という価値観を自分のなかにすり込んでしまっていたけれど、長持ちしなくても、「本物」でなくても、いいんだよなということに、あの触感で気づいた。
良し悪しとは別の、「本物」かどうかとは別の、有り無しに近い、事実として在るんだなという事実。
というと、ポリエステルなどのぬいぐるみを「なし」だと思ってたみたいだけどまったくそんなことはなくて、ぬいぐるみ大好きだし、いまでも自分用に買う。
ただ、自分がつくるということを考えたときに、テディベアの「こうあるのがよい」みたいな基本形とその価値観を、わたしが自分のなかで反芻して、のち放置しているうちに、変なふうに固めてしまっていたのだと思う。それが、姪によって溶けた。
つくりかけでしまっている猫のぬいぐるみは、手持ちのモヘアでつくっている。
次はポリエステルの布を買ってきて、それでぬいぐるみをつくってみたい。
(……そう思ってこないだユザワヤに行こうとしたのに、歩いていったら全然違う場所に出ちゃったんだよな……もう地図も読めなくなってしまったのか……)
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いまの姪は、鬼滅の刃が好きなようだ。
好きなキャラクターが全面に押し出されているグッズはもちろん、着物の柄が使われているだけのグッズを喜んで使っているのをみると、あの柄の布が公式に発売されているのはとても重要なことなのだなとわかる。
これも、自分では気づけなかったことだ。
私はアニメ数話を観たところで止まっていて、詳しい話にはついていけないし、鬼滅ごっこで誰かを演じることもできない。
姪が目の前で熱をもって一生懸命話しているときや、OP曲を口ずさんでいるのを見ると、私も原作かアニメを観て話にのれるようになれたらなと思う。
でも一人になるとどうも、手が動かず……。