クリスマス、練習、成長

クリスマスツリー

生まれて初めてクリスマスツリーを飾った。
60cmのツリーとちょっとしたオーナメント、電池式のLEDライトを用意したので、あとは姪に飾りをつくってもらって、一緒に飾り付けを楽しもうと思った。あくまで姪の遊びとしてのクリスマスツリーのつもりだった。

実際姪は、星をうまく塗れたことに満足し、飾り付けを楽しみ、オーナメントのぬいぐるみをさっそく気に入った。ただLEDのライトのことは、「自分がつくった飾りよりきれいで目立ってしまう」ととらえたようだった(これは意外だった)(たまたま虫の居所が悪かったのかもしれないが)。
でもそのあとは、あまり興味がないようだった。猫がかみつきたがって狙っている様子はおもしろがっていたけど、それ以外の時間は景色としてなじんだようだった。

他方わたしはというと、その飾り付けの楽しさ、LEDの灯りのきれいさにすっかり魅了されてしまった。
猫がかじるといけないから、姪が帰ったらどこかにしまうつもりだったが、もったいなくてとてもしまえないと思った。

そして、わたし以上に父が気に入ったようだった。姪が帰ったあとは自室に飾り、ライトもずっとつけていたいようだった。
母に「こういうの、いいもんだねえ」というようなことを言っていた。

うちは信仰上の理由で、クリスマスを祝ったことがなかった。
その価値観の刷り込みからだと思うが、就職して一人暮らしするようになっても特段関心を抱くこともなかった。
数少なかった交友関係のなかで、クリスマスを理由に飲みに行くことくらいはあったと思うが、積極的にクリスマスを祝おうと言われることもなかった。
クリスマスプレゼントというものを買ったのも姪が初めて。姪の家には立派なツリーがあるが、わたしの家でツリーを出したのは今年が初めて。

だから知らなかった。小さなクリスマスツリーが、人をこんなにあたたかくすることがあるのか。
姪にとっては自分の家では毎年の光景だから、それに小さいツリーだから、あっという間に「日常」になじんだのだろうなと思う。
これを「日常」と感じられる姪は幸せだなあ、恵まれているなあと、本当に思った。
その幸せな空間が、これからますます大きくなっていく姪にとって、ハイジの藁のベッドみたいな存在であり続けるようにと願う。

クリスマスツリー

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今日のぬりえで、姪は女の子のキャラクターの目に、虹彩を描き入れていた。
「目に、光をね、こうやって点、点、点って入れるんだよ」

これは本当に感動した。
塗りがはみ出しては「うまく塗れない〜」とくやしがっていたの、ほんのちょっと前のことじゃなかった?
家でもぬりえばっかりしているというけれど、自分で成長が感じられるのはそりゃあ楽しいだろうと思う。

その一方、わたしはといえば、Illustratorでハートひとつ満足に描けない。
本をさっと見返せば思い出せるのだけど、その場で即興でと言われると……、手の動かし方をまだ覚えられていない。
練習、手を動かすしか。

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