ここ数日の日記

がむしゃらに稼がねば——と思った日曜を経て、月曜に1件依頼をいただき、躊躇しながらも引き受ける。
躊躇したのは、時給換算すると安くなる仕事だからだ。ボリュームがあるからある程度まとまった金額にはなるが、最終的に時給換算するとたいてい安くなる。だから躊躇した。
でも今、「まとまった金額」を逃すほど余裕はない。だから引き受けた。

仕事を引き受けるかどうかの判断基準は、金額のみではない。でも金額は、判断を左右する大きな要素だ。
こちらの能力とリソースを適切に評価してくださっているか。費用を投じてきちんと仕事をするお考えと体制があるか。そういうものを判断する基準にもなるし、何より生きていかなければならないので。

引き受けた翌日には書類が届き、さっそく着手する。
やっぱり手がかかりそうだなーーーーというタイミングに限って、ほかの仕事のお声がけが相次ぐ。「貧すれば鈍す」の反対。いやこれも「鈍す」の一種なのか。
だれか、そのなかのお一人だけでも、もう少しでも、早く連絡してくだされば……。
なんてな。名前で仕事がきているわけではない下請け仕事だから仕方がない。
下請け仕事のフロー一辺倒から早く脱却しなければ。

相次いでいただいたお声がけは、もろもろ調整できて全部お引き受けできた。ここ1週間が山。確定申告の準備はどんどん遠のく。
猫の健康診断の日、タイミングが合わず持参できなかった尿検査は「また出直しますわー」と先生に話したけど、出直しは来週だな。

猫の健康診断は、おおむね問題なかった。
触診もOK。見た感じもOK。心音は「かわりなし」。血液検査もまあまあOK。肥満傾向は気をつけないとやばい。すでにカロリーは抑制しているのでこれ以上の気をつけようが正直見出せないのだが、とにかく気をつけねばならん。

猫が年を重ねて、これから少しずつ、心臓の異常が具体的な症状を伴うようになってくるのだとしたら、「多少太っても思う存分ご飯を食べさせてあげたい」という気持ちになる時期がそのうちくるのかな、それはさほど遠い先のことではないのかなと思うところが、実はちらっとあった。
猫の肥満が要注意なのは猫の健康に甚大な影響を与えるからであり、そもそも“長生きできない前提”なら……、ということだ。
でも、今回の結果について先生と話すなかで、心臓の状況が今後どう推移すると考えられるだろうかと可能性の話をしてみると、今後の成り行きはなんとも言えないということだった。症状が出るかもしれないし、ずっと出ないかもしれないと。心臓の状況が悪くなる前に、ほかの病気になることも十分あり得ると。ならばやはり長生きすると想定し、肥満には注意し続けるということだ。

猫、心臓の病院には定期的に通っているけど、かかりつけのこの先生に診てもらうのは1年ぶり。尿検査は人間単身で通院するから、この1年は、かかりつけの病院に猫自身が出向くほどの不調がなかったということになる。
尿の結晶が出ないかどうか常に気を配らないといけないし、心臓のこともいつも念頭にあるから、この猫が1年間「健康だった」「何事もなかった」という感覚は、人間にはまるでない。でも、今目の前の猫は「元気」であることは間違いない。
医師や知人に猫の状態を聞かれて「元気です」と答えるとき、このギャップが一瞬声を詰まらせる。今回の健康診断の結果を見ても、ある時点での一瞬の安堵を得ただけで、安心には至らない。
でも今、家にいる猫は日に何回も甘え、おもちゃにじゃれて飛び跳ねている。その姿は当たり前のものじゃない。その姿を毎日見られるのはありがたい。

そういえば、かかりつけの先生に診てもらったときの表情が、家にいるときとはちょっと違っておもしろかった。
家にいるときは永遠の2歳、甘えたがりボーイという感じに私には見えているけど、病院で先生と対面したときはちょっと大人びて見えた。内弁慶なりに、緊張する場所でがんばって耐えていた姿だったのだろうか。そういうことができる年になったのかもしれない。

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