参院選に向けてTwitterの使用を一時的に全面解禁していたら、そのくせが見事に抜けなくなってしまって、再びツイ廃と化している。選挙期間中にDuolingoを中断してしまったのもよくなかった。
今回の選挙期間中に自分が得たものですごく大きかったのは、ARMYさんたちがTwitterスペースでしている「おしゃべり」に出会えたことだ。
ARMYさんどうしで政治について話す回もあれば、候補者の方を招いていろんな話をする回もあり。何を話してもいい、間違いとかない、まとまってなくてもかまわない、とにかく「あなた」の話を聞かせて——という「おしゃべり」は、スピーカーだけでなくリスナーもゆるくつながることができて、ものすごくエンパワーメントされた。
もう一つ大きかったのは、選挙期間中にInstagramに投稿した選挙関連の内容に反応してくださった方がいたこと。
友達はおらず、家族とは対話する関係にない私にとっては、選挙の働きかけをできるリアルな人間関係がない。その代わりになるかどうかわからないが、今回はできるだけInstagramで投稿をしようと決めていた。
機能的に使いこなせてない部分もあって完全に手探りだったし、反応が薄くなるのは覚悟の上だったけど、何度も「いいね」などのリアクションをしてくださった方もいて、それが私には「1人じゃない」と思わせてくれたし、勝手に応援してもらっているように受け止めていた。
これらの体験は本当に得がたいものだった。だから私にしてはめずらしく思ったのだ。「私も『おしゃべり』したいなあ」と。
ARMYさんたちのスペースで話したいかというと、そういうことじゃない(もしもそのぐらい仲良くなれたらそれはもちろん最高だけど)。
私にも友達がいたら、ああいうセーファースペースで「おしゃべり」したかったなあという願望。「おしゃべり」でつながる連帯への羨望。まだうまくまとめられてないけどそういう感じだと思う。
でも実際の私はといえば、人見知りだし電話は大の苦手だしで、口を開き慣れてない。本当に「おしゃべり」するつもりなら、まずそこから始めなければいけない。
先日、某政党のサポータークラブ主催「参院選を振り返るオンライン交流会」というものに参加してみた。
顔は出さなくてもいいということだったが、交流会と銘打ってある以上、何らかのコメントは求められるだろう。それなら話してみようと心づもりして参加したのだけど、自分の番が近づくにつれて鼓動がすごいことになっており、我ながらそこまで緊張しなくてもと思った(結局マイクがうまくつながらず話せなかった)。
昔、1人暮らししてたとき、土日はコンビニでたばこを求めるときぐらいしか声を出すことがなく(当時は喫煙者だった)、いざレジで声をかけようとするとなかなか声が出ないということがよくあった。
今、心理的にも身体的にもその「声が出ない」状態になっている。旧知の取引先との仕事の電話がギリ。あるオンラインのコミュニティ活動で定期的に会が開かれているのだけど、もうずっと欠席している(参加したらすごく楽しいのはわかっているが、事前の緊張状態に負ける)。
この状態の私が話すこと、書く/描くもの、つくるものが、人に何かを話しかけるものになり得るのだろうか——という危機感はあって、あと単純に、気軽に「おしゃべり」したいという気持ちもあって、もうちょっとどうにかしたいなとは思ってる。
で、話を元に戻すと、ARMYさんたちのスペースはこれからも聞き続けたいけど、ツイ廃状態は脱したい。
今日もまた15分の2で終わってしまった、仕事。