ある3月7日の日記

数日来のダメージが残り気弱になっているところへ、遊んでいた猫がキャットタワーからすべり落ちるという出来事があった。
落ちるといってもけがが生じるようなものではまったくないが、周囲のものが多少傷ついた。
それは私の配慮が(行動として)不足していたことによるものであり、猫を責める意図はまったくない。ただただ、自分の不手際に落ちこんだ。
そして、すべり落ちた猫も落ちこんだようだった。私の解釈が正しければだが、しゅんとしていたように見えた。

そういう落ちこんだ者どうしが、(私の主観でしかないが)家族として生きているんだなあという意識が働いて、いつになく猫をいたわる気持ちになったのだと思う。そういう感情から、こういうものを書いた。

手書きで書いた日記ZINE「猫の鼻息」の画像です。

こうやって整理すると、やっぱりこのZINEに書いたことはちょっとニュアンスが違うな……書き直そう。

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とりにくさんという方のネットプリントを拝見したことをきっかけに、「自分でもネップリ出してみよう」という気になって、先月から手書きのフリーペーパーをつくるという試みをしている。

これ、行為としてものすごくおもしろい。キーボードを打鍵するのではなく、手で書く/描くということがおもしろい。こうして文章で日記を書いているのとは違うおもしろさがある。「絵を描く」ことへの抵抗感(自分自身に勝手に設けていたハードル)を下げてくれたし、デザインを考えるのも楽しい。

だけど、文章を手書きしていると、自分が本当に発したい「言葉」になっていないような気がする。できあがったものを読んでみると、「……これ、かなあ……?」となる。だからまだ1枚もネップリには出していない。

私は考えることを全部説明したいという志向がある。日記がものすごく長くなるのもそのためだ。
でも、フリーペーパーでそれができないことはわかっている。だからかいつまむわけで、それは納得しているのだけど、うまくかいつまめていない感じがする。なんとなくそれっぽいことを置いてるだけになっている気がしている。上滑りしている気がする。だから出せない。

そもそも、自分の書きたいことを出したいのか、人におもしろく(この「おもしろ」の意味はさまざまな観点があるが)読んでもらえるものを出したいのか、ということも整理できてない。

でもこの行為はおもしろいし、自分の中の壁の一つを突破することにつながると思うから、いい方向性を見出して実行したいよ。
こうして日記をテキストで書き記すことと、手書きでフリーペーパーをつくること、両方を毎日続けるのはたぶん無理だけど、そういうとこも踏まえて、何かいい方向性を見出したいよ。

(3月7日の日記を、3月9日に記述したもの)

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