インターネットの海で、日本語圏を自ら出るということ

私はある時期、日本のプロ野球の試合を見て楽しむのが好きだった。スポーツ自体はおもしろかったし、厳しい世界をプロフェッショナルとして生き抜く選手は応援していたけど、日本のプロ野球というエンタメをとりまく世界のあり方にはどうもなじみきれなかった。端的に言って、人(人権)が尊重されていないと思えてしかたのない世界がいやだった。このご時世で、プロ野球というエンタメを楽しむことに多くのリソースを投じて没頭できる(構造上の)マジョリティの一部に見られる特権性も、つきつけられるたびにつらくなった。そして2020年以降は、その世界が決定的に嫌になってしまった。

見て楽しんでいた期間、私はある球団を応援していた。その球団のすばらしい試合を見たことが、野球というスポーツにひきこまれたきっかけだったから。
その球団が、「球場で、観客が声を出して試合を見ること」が解禁になったことをもって「大声出そうぜ」というハッシュタグを使いはじめたのを見て、けっこう最悪だなと思っていた。

そして、政府がマスク着用を「個人の判断に委ねる」としたことに伴って、当該球団は観客に対し、マスク非着用での入場を可能とした。この旨を知らせるツイートに「大声出そうぜ」というタグをつけているのを見て、留保なく最悪だなと思った。

私は球場に二度と近づかない、と思えばそれで済む。でも球場には働く人がいて、近隣には生活する人も医療従事者もいて、球場でマスク非着用で大声を出し出された人の周辺には高齢者や基礎疾患患者がいるかもしれない。
そういう人に及ぼす危険性を、「政治が『人の命を守らなくてもいいよ』ってことにしちゃったから〜」と大手を振って無視することにした企業、その姿勢を「大声出そうぜ」というタグ付きで表明することにした企業は、私は最悪としか表現できない。

◆◆◆

というようなことがつい先日あった今日、当該球団が「DV規定違反」で処分を受けた元メジャーリーグ選手と契約へ、という報道を見た。
DV規定違反……当該球団の所属選手にもDV疑惑あったよなあ……と思いながら当該球団の公式発表を見に行くと、「DV規定違反」とはどのようなものだったのか、当該選手の行動を球団はどのように調査・判断したのか、球団はDVを容認するのか否か、といったことは一言も書かれていなかった。

日本のメディアもざっと一通り読んだが、知りたいことを十分に知ることはできなかった。そこで英語で検索してみることにした。当該選手の名前と「DV」や「MLB」で検索。海外メディアの性質も理解していないので、検索結果のなかで自分が知っているメディアの記事を抽出して、Google翻訳とPapago翻訳で読んだ。

……という状況なので、自分が見たいものだけ見ている(内容を精査できていない)可能性も十分ある。けど、それでも日本語で流通している情報(のうち、日本語で検索できた情報)よりはるかに充実していた。
検索結果のなかの英語情報にアクセスすることはあったが、自分から英語で検索したことはなかった。日本語圏以外の情報に自らアクセスすることの重要性。その結果得られる世界の広さ。久しぶりに「インターネット……!」という感動があった。

もとをただせば、日本の企業と日本のメディアのなれあいがひどいよねという話だし、不慣れな言語で情報を取捨選択する難しさはものすごくある。けど、「英語むず」で避けていてはいかんのだなとつくづく思った。

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