(以下、猫の嘔吐物に関する表現があります)

昨日、猫をかかりつけの病院に連れていき、診察を受けた。
おそらく胃腸炎、食欲も元気もあるならば様子見でいいでしょうと、注射を打ってもらって帰宅。
その後は食事も(いつもより少ないながらも)食べ、嘔吐もなく、元気に遊んでいたので、人間も「(猫の)口のまわりがちょっと赤い気がする……胃液で荒れちゃったのかな」などとほかのところに気が回るぐらいになっていた。

が、朝方に近い夜中あたりから突然連続嘔吐、嘔吐といっても泡のような液体のようなもので少量ではあるが、嘔吐をしはじめ、それがうっすら赤みを帯びるようになった。これは朝いちで病院だ……と嘔吐物を袋に入れて仮眠して、起きたら完全に赤95%くらいの嘔吐。病院に電話するとたまたま空きがあるとのことで、予約。

すぐにアプリでタクシーを呼ぼうと思ったら、空車がなく歯医者が少し先になる旨が表示された。「○円のオプションをつけると優先的に配車します」と言われ、仕方なく選択。なるほど、タクシーアプリはこういう状況があり得るのか……でもタクシーの予約も確か別料金なんだよな……どっちにしても緊急時は予約できないし……。ともあれ1個勉強になった。タクシーは猫の通院時ぐらいしか使わないけど、そういうときは(今回みたいに)緊急時のこともあるので、覚えておこう。
玄関を開けると、まあまあ大粒の雨が降っていた。タクシーの空車がなかったのは、この天気の影響もあるのかもしれない。

行ったのはかかりつけの病院だが、かかりつけの先生はお休みの日で、別の先生に診察してもらった。
仮眠をとる前あたりの段階で、腸閉塞の可能性を考えはじめていたので、先生にも相談し、念のためレントゲン撮影を追加。あくまで画像ではだが、詰まりというほどの状況は確認できなかった。
水分補給の点滴と、薬の注射をしてもらうことに。

◆ ◆ ◆

私は動物医療については猫の診察しか経験したことがないが、猫の医療は結局のところ、人間(飼い主)が納得できるかどうか、人間が悔いのないようベストを尽くしたと思えるかどうかが大事なんだよな、と飼い主としてはいつも思う。
当然、診察・治療の対象は動物であり、動物の状況が改善したかどうかが大事なのは当たり前に決まっている。
だけど、猫のように小さい動物の医療を町の病院で受ける感覚からすると、施せる医療には限りがあって、その限りは人間の医療よりもずっとずっと狭くて、取り得る選択肢も(病院側も飼い主側も)それほど多くない。

飼い主としては、そういう状況の中で「動物にとってのベスト」を最大限想像し、実行し尽くさなければならない。動物との会話が叶わない以上「動物にとってのベスト」が何か、どの選択肢がベストなのか、その選択を当の動物が望んでいるのか、ということは永遠に謎のままだ。飼い主はその暗く狭い謎のなかを、動物病院に連れていくべきか否かというところからどういう治療を選ぶか(選ばないか)まで、「動物にとってのベスト」に向けて手探りするしかない。

私が今まで猫の医療に関して行った数多の選択で、「間違いない」と自信をもてたことは1回もない。ただ、猫の命とQOLを守るべく、そのときそのときの最善を模索するしかない。そうして尽くされた最善の結果がどうであっても、受け入れる覚悟をするしかない。

つまり、責任を背負って判断をするのは飼い主であり、動物病院にはその決断と医療をサポートしてほしいと私は考えている。動物病院で飼い主(私)がぞんざいに扱われると、自分自身と、自分が心底大事にしている動物の存在と、その動物の世話をしている保護者としての保護のあり方と、いろんなものを否定された気持ちになるし、診察に対する不信と動物の健康に対する不安が著しく増大する。そのダメージの大きさは尋常ではない。

そういう、ぞんざいに扱われた経験が、ほかの動物病院ではあった。だから、私も猫もぞんざいに扱わないということを、私は動物病院に求めている。

……この感覚、もうちょっとうまく言葉にしたいけど、とりあえずここまでにしておく。

◆ ◆ ◆

単純にいうと、私が動物病院の医師に対して求めるのは、動物に対して最善の治療を施すことと、人間(飼い主)に対して人間が理解・納得する説明をすること。動物病院がインフォームド・コンセントをとるべき相手は、動物ではなく人間なのだ。診察や治療の技術があることは必須だけど、それだけではだめで、動物にも人間にも誠実であってほしいし、人間が信頼関係を築ける相手であってほしい。

この点で、私がいつも猫を診てもらっているかかりつけの先生にはとても満足している。
他方、この日に診てもらった別の先生も一定の信頼はしているのだけど、コミュニケーションのとり方が私の求めるものとは少し合わない。親切だし、動物の保護活動にも理解があり、あたりもやさしい、とてもいい先生なのだけど、あくまで個人的な相性の問題で、私が聞きたいことをうまく聞けない感じがある。

この日も、赤95%の嘔吐物も持参していったのだけど、その内容を確認されることはなくて、波立っている心臓の奥底に少し沈殿するものがあった。
比べてしまうが、前日に診てくださったかかりつけの先生は「せっかく持ってきてくださったなら見てみましょう」と、嘔吐物をすべて開いて確認してくださった。
おそらく、私の説明や猫の状態から、状況を十分に確認することができており、嘔吐物を確認するには至らなかったのだろうとは思っている。それほど深刻な状況ではないからこそであろうとも。ただ、それならそれで説明してほしいんだよな……。血を吐かれて動揺している人間が納得して安心できる説明を。
たぶん、先生はそれを別の言葉で伝えたと思っておられるのだろうと思う。全体的にはいろんな話をしてもらったし、質疑応答もしたから。それにきちんとつきあってくださったということは、先生の名誉のためにも補記しておきたい。ただただ、相性の問題だと思う。私自身がコミュニケーション下手というのも大きい。

◆ ◆ ◆

帰宅後、猫はほも寝っぱなしだった。
たまに起きても食欲も元気もなく、食べてないから排泄もなく、ちょっとウロウロして寝るだけ。起きている間はひたすら口の周りをペロペロしていて、気持ち悪いんだろうなあ、吐き気はあるんだろうなあと思うとかわいそうでしかたがなかった。

注射した薬の効き目が半日で切れるということで、夜は投薬をしなければならなかった。
昨日はちゅーるに混ぜてどうにか食べてもらったが、今日は食欲がないので口にダイレクトに薬を投与するしかない。その方法は、今までどの猫にもしたことがない。せずにすめばそれに越したことはないと思っていたが、うちの猫には持病的なものがあり、いずれは投薬も必要になるかもしれない。それならば早めに経験を積んでおきたいというのもあった。
大丈夫、動物病院で口の開け方も練習したし、動画も見まくった。イメトレは万全だ。

で、いざ、一式をもって猫のもとへ。結果は失敗。口を開けてもらえなかった。
動物病院ではああやってああやったら口を開けてくれたのに、動画でもできてたのに、猫はギリギリと歯を食いしばり、すき間に指をはさませまいと抵抗し、私はそれをどうしようもできなかった。無理して口に傷をつけたらと思うと、それもこわかった。
しばらくがんばって、諦めた。食べておらず体力のない猫に、体力を消耗させただけで終わってしまった。

その後私は机に戻り、猫は寝場所に戻った。私はしばらく呆けてしまった。Twitterをスクロールする元気もなかった。
それからどうにか手を動かし、たまっていた仕事の続きをしていたら、猫が横に来て、私の座椅子の上で眠った。あんな格闘をしたあとでも私の横で寝ることを選んでくれたのがありがたかった。

相変わらず寝ては起き、口の周りをペロペロし、寝る。さすがに猫も、これだけ寝っぱなしだとそんなに寝られないんじゃないだろうか。気持ち悪いわけだし。でも、それを繰り返しているうちに、ペロペロの回数も減り、就寝中もリラックスした姿勢を見せるようになった。
結局、猫の回復力に頼るしかなかった。薬も与えられず見ているしかできない自分の無力さがほとほとなさけなかった。

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