「素朴」?

※以下、差別言動の引用など、差別に関する言及を含みます。

コロナ禍になってこの数年、政府や政府がかかえる「専門家」、市井の「医療関係者」やメディアがさまざまな場所で発信していたが、そのなかには「到底飲み込めないぞ」という情報が少なくなかった。PCR検査抑制論や反マスクがその筆頭だ。そういう状況にあって科学的な姿勢を保ち、日本語圏以外の情報も積極的に取り入れるなどして、信頼に足る(と思える)情報を発信してくださる有志の存在がありがたかった。

その一人が、「女性トイレを減らしてオールジェンダートイレをつくる社会はマジョリティが生きづらい」といったことをTwitterに投稿したのが目に入った。近年本当によく見るやつ。それがこの人から出たことが本当にショックだった。直接お会いしたこともなく、何回かやりとりしたことがある程度だけど、健康に問題を抱えている状態で、がんばってお子さんを育てている姿を応援していたから。その人ですら、この、手垢のついた差別言説にのってしまうのか。

そのツイートからはその人が、一線を越えてはいないのではないか、「素朴な疑問」でもって入り口からのぞいている状態ではないかと思えた。そうあってほしいという期待も多分にあった。今ならまだ間に合うのではないかと思った。線を渡ってほしくなかった。ものすごく迷った末に、DMを送ることにした。でも不首尾に終わった。「差別する意図はない」「素朴な疑問なのにとがめられるのか」の立ち位置から動いてもらえなかった。「攻撃された」とエアリプしていたのも見た。

私がその人から切られるのはかまわない。でも、その人やその人のお子さんが一線を越えることの背中を押してしまったのだとしたら、それは心から申し訳ないと思う。その人たちにではなく、差別で苦しんでいる人に。してしまったことはもう取り返しがつかない。この責任を私はこれからも背負っていくしかない。そしてどうするのが最善だったのか、どうするのが最善なのか、勉強して考えるしかない。


そういうことがあって少し経ってから、この記事を読んだ。
なんでこの記事を知ったのかというと、「女性トイレを減らしてオールジェンダートイレをつくってるのよくない」の人たちがそれ見たことかとばかりに、この記事を引用していたのを目にしたからだった。
私がやりとりした人も、この記事を読んで、「ああ、やっぱり間違ってなかった」と思うのだろうか。やりきれない。

上記の記事における小宮信夫氏の言及はかなり部分的に思えるけど、こちらの記事は本人の記述であり、もっと詳しい。
「犯罪機会論」の授業としてこの記事を読んだら、「それはそう」なのかもしれない。でも、ネットで記事を出すにあたり、今実際にある差別言説を後押しすることになるこの内容を、何の留保もなく出しているということに強い抵抗を感じる。

〈この現実は、データだけでなく、生物学からも支持されている。というのは、犯罪へと向かわせる最強の生物学的リスクファクターはY染色体(男性にする遺伝子)だからだ。これによってもたらされるテストステロン(男性ホルモン)は、他者への攻撃性を高めることが確認されている〉

といった言説にも警戒心がわく。
小宮信夫氏の著書、読もうと思っていたのだが……。
トランスジェンダーに関する記述については、ほかの方も指摘されていたけれど、日本語の言及だけだと本質的な理解に至らない(どころか誤ったほうにひっぱられる)なという、その危険性ばかり強く意識してしまう。


4/24(月)のポリタスTVのテーマは「バイデン政権2年3カ月点検」で、その中で多発する銃乱射事件とトランスジェンダー差別に関する言及があった。
アメリカでは、「(多発する銃乱射事件を受け)銃を規制しよう」の矛先を、反対勢力が「トランスジェンダー」にすりかえ、バッシングの標的に仕立てているということだった。引用されていた文言は本当にひどく、紹介していたゲストの古川氏も絶句するほどだった。
これはアメリカの事例として紹介されていたけれど、日本語圏のTwitter上でもう日常的に見る「今そこにあるやつ」に重なって見えた。津田氏は「これそのうち輸入されますよ」みたいなことを言っていたけど、もうとっくじゃなかろうか。


昼間のやりとりのショック(それは自分で招いたことだと言われれば返す言葉もないが、それでも受けた言葉や直面した差別言説はショックだった)がまだ生々しく血を流している状態で、小宮氏の記事を見て、正直地面がぐらんぐらんゆらぎそうな感覚をもった。私が保っていた世界こそが間違いなのだろうか……というゆらぎ。

でもゆらぐ必要はない。DMしたことや伝えた言葉は改善の余地があるかもしれないが、差別を差別とすることは間違っていない。私に必要なのは、ちゃんと勉強すること、日本語圏以外の情報を取得することであって、土台はゆらがない。そこは間違ってない。

そう思えたのは夜もだいぶ更けてからのことで、この日は終日ふわふわゆらゆらしたまま、入管法改悪反対のFAX送信はできたけど、仕事は全然進まなかった。


あなたの「素朴な疑問」は、人を差別する言動への「加担」になり得ます。あなたに差別する意図があるかどうかにかかわらず、そうなり得ます。
つまり、誰かの「攻撃」になり得るということです。あなたの意図にかかわらず。

「素朴な疑問を言っただけなのに攻撃されるなんてひどい」という前に、その「素朴な疑問」こそが誰かへの「攻撃」になってしまっていないかどうか、考えてください。
心のなかで思うことは自由です。しかし、ネットはあなたの心中ではありません。ネットは「外」です。「公」です。

差別は意図ではなく構造の問題です。そして「スルーすればなくなる」ものでも、「いろんな考え」で許容されるものでもありません。
「声を上げるためならば誰かを犠牲にしていいと」いうことはありません。差別に加担することなく、声を上げることはできます。

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