一人を救う政治

入管法改定案が衆議院でまもなく可決されてしまいそうな情勢で、多くの人が反対活動もしているが、状況は厳しい。

自民党・公明党・日本維新の会・国民民主党が非人道的な法案を推進することに対しては、ただただ怒りがある。ずっと怒っている。
他方、立憲民主党において、人の命を救えない修正案で妥結しようとする動きが見られること、それを「議席が少なく数で対抗できないのだから仕方がない」「廃案を求めるのは現実をわかっていない」とばかりに言う人がいることを残念に思う。

議会の仕組みがあり、議席という現実があり、その制約下でできることを考えているのは理解している。でもその制約を「できないこと/しないことの言い訳」にしていないか? Twitterで見られた、一部議員のいくつかの言葉は本当に残念だった。命を救い人権を守るために力を尽くしている議員も少なからずいると知っているからこそ、よけいに。

「クイーンメーカー」でオ・ギョンスクが、「一人を救うことができなくて政治なんかできない」というようなことを言って、仲間をかばう場面がある。
あれは物語であって、現実にそう言いきれる場面は少ないだろう。でも、政治の根本はそういうことじゃないのか。昨今流行のように使われている「誰ひとり取り残さない」の根本はそういうことではないのか。今回の入管法のように、人の命に関わる、重大な、妥協しようのないものは、そこが揺るがないかどうかが最も試される場面だ。

一部議員が「(数で対抗するために)立憲民主党に過半数を与えて下さい」とツイートした。過半数をというならば、立憲民主党が自公維国の4党とは違い、人の命や人権を見捨てない政党であることを行動で示してくれ。自民党が掘る穴に落ちていくしかないと日々思わせられる社会で、命綱になる存在だと思わせてくれ。「命綱だと思ってつかんだら切れました」では困るんだ。

入管法改定案について、立憲民主党へ「入管法改定案を廃案にしてほしい」と歎願する旨のFAXが送られることについて、議員も支持者も(全員とは言わないが)忌避反応が強くて驚く。
一連のFAX(の多く)は攻撃ではなく、「頼むからこっちを見てくれ、人の命を守ってくれ」という悲鳴に近いものだと思う。そもそも与党にもゆ党にも、すでに数多のFAXが何回も送られているはずだ。どなたかが書いてたけど、立憲民主党への「修正に応じるな」の声は応援だろう。「修正に応じない、人の命を見捨てない立憲民主党をこそ支持する」ということではないのか。そのFAXで刺したいのは立憲民主党じゃなくて入管法改定案なのに。

それに対して「立憲に言われても」「与党に言え」「立憲が攻撃の的にされる」みたいなことを言うのはお門違いも甚だしい。
本当に「攻撃」に類する言葉でどさくさまぎれに誹謗中傷している人がいるなら、それは個別にいくらでも対応すればいいけど、そうではないものまで「攻撃」として扱われると、「大丈夫?」ってなる。
受け取ったFAXを「廃案を求める立憲民主党」の追い風として対外的に見せて、世論を喚起して、あるいはメディアに働きかけて、そのベクトルを自民公明維新につきつければいいのに。現にそれを実践している議員もいる。今、それができるのは立憲民主党だけなのに。

なお、私は立憲民主党の支持者ではないが、当該政党を「攻撃」する意図はない。なので、この日記を立憲ディスととらえてほしくないし、ましてやディスに利用してほしくない。そのことは付記しておく。
何がどうだとて今の腐りきった政権はかえるほかなく、その椅子に収まるべきは少なくとも維新や国民民主ではない。そういう状況にあって、野党第一党がしっかりしてくれないと私たちが困るんだ。今の政権が続く限り、私たちは命や生活や人権や、あらゆるものが危機にさらされ続けるのだから。
ある政党がその運営を誤って議席を減らすかどうか、そんな心配を私はしていない。勝手にすればいい。ただし、野党第一党がその道を誤ったとき、崖から落とされるのは私たち弱い者だ。当該政党はそこをわかってくれ。

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