見積もり依頼

クラウドソーシングサイトから届いた「○○○様からメッセージが届いています」のメール。
○○○のところに入っていたアカウントIDらしきアルファベットと数字には心当たりがなかったが、6年ほど前に仕事を依頼してくださった企業だった。
6年の時を経てのお声がけは初めてかもしれない。何にせよありがたいことだ。見積もりに必要な情報をいくつか確認して、見積もりを提出した。

見積もり、何度しても難しい。
自分の生活のためにも後人のためにも安請け合いはしたくない。ましてやこれだけ物価が高騰すると、見積もりの基準となる価格も上げざるを得ない。けど、どこぞの電気代みたいに10%15%と上げることなど夢のまた夢だし、そもそも価格改定をすんなり受け入れてくれる企業ばかりとは限らない。
先方にとって高いと思う見積もりに対して、「これは高い」と反応を返され、再調整の機会が得られればまだいい。「見積もりありがとうございました。検討します」でそのまま消えてしまうこともざらだ。見積もりは難しい。いつも綱渡り。

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最近、「本」界隈を批判することが多い。でもいつも思うけど、結局のところ私が「そんなんでいいのかよ」と(特別葛藤することなく)書けるのは、本屋とも本を書く人ともまったく接点がないからなんだよな。

会社勤めでなくなり、同僚・上司・部下もいないし、友達もいないから、人間関係のしがらみのなかでどうにかやっていくことの葛藤もほぼない(親とのしがらみだけが残ってしまった)。というか、その葛藤を続けることができなかったからこそ人間関係から見放されたといったほうが正しい。

ともあれ、そういう状況にいるのはある種の特権性であるし、葛藤のただなかにいる人への想像、配慮ができていない自覚もある。だからえらそうに上段から何かを言える立場だとは思っていない。

日本で生まれ育ち教育を受けてきたひとには、自分も含めて受け足りない教育がめちゃくちゃあるのはそれはもう確かで、今こういう社会になっているのはそれに(も)起因するのも間違いないことでもある。それもわかっている。「あなた方が弱いんじゃないですか」と言って溜飲を下げたいわけでもない。でもねーーーー、でもさーーーとはなるんだよ。こと、差別という問題に関しては。

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