都合があり、リビングのソファの裏にあるコンセントで作業する必要が生じた。作業するにはソファをどかさねばならず、ソファをどかすにはこたつテーブルとソファ脇の棚やらこまごました荷物をどかさねばならなかったので、いっそ全部どかして掃除してしまうことにした。
その作業を朝からして、10時半すぎから掃除開始。掃除の日は何から何まで大移動になってふだんと景色が違うので、猫が興奮するのはいつものことだ。興奮して走り回るのはかまわないのだけど、勢い余って、露出した床を爪でガリッとやってしまわないかと、賃貸借契約の乙であるところの人間はハラハラしている。それでも最近は、子猫のときよりはだいぶ落ち着いた姿を見せるようになった。
(自分比で)朝早くから着手できた甲斐あって、今日はリビングを全部掃除できた。私はきれい好きではないし掃除も特段好きではないけども、掃除したあとの気持ちよさには一定の達成感があり、大人になってからは嫌いではなくなった。何より、いつか来る「家を退出する日」に備えて、家の状態を保つことができていることを確認し安心できるのも大きい。「万が一何かあっても、敷金のなかで済みますように」ということをいつも気にかけながら生活しているので。
「朝から夕方まで掃除していたら、夜は疲れきってしまうだろう」というのは、この日を掃除日にしようと決めたときから予想していた。ただ、「じゃあ掃除が終わったあとはどうしようか」というのは決めていなかった。ただのんびりしていいのか。日記書くか……書けるか? 机に座ってもぼーっとしてしまうんじゃないか? 私にとって、仕事しない日の時間は貴重だ。できればむだなく使いきりたい。
そこで思いついたのは、猫の尿検査だった。昼から午後にかけておしっこしてくれれば、ちょうどいいタイミングで動物病院に行ける。天気も大丈夫そうだ。これを前日の夜に思いついて、当日は掃除しながら尿採取体制を敷いておいた。すると、私が気づかないうちに(イヤホンして床を拭いていたときかもしれん)済ませていたようだった。私が気づくのがちょっと遅れてしまったけど、無事採取して尿検査成功。帰宅後はそのトイレを洗い、ついでに風呂に入り、ようやく見つけた、おいしいという評判(n=2)の夏みかんサワーを飲みながらひとり打ち上げる。
……しかし、打ち上げなどしてていいのか? 確かになすべきことをなした達成感はめたくそあるけど、収入や自分の何かにつながることは何ひとつできていないのだが。猫のためになることは確かにしたけども、あとは掃除しかしていない。打ち上げしてる場合なのか?……こんなようなことは、つい考えてしまう。別にいいに決まってるんだけど、懐がさびしい個人事業主としてついこういうさもしい発想をしてしまう。気兼ねなく休みてえなあ。
まあ、酒も飲んでしまったし、もう今日はいいことにしよう。いいことにするついでに『新しき世界』と『別れる決心』を見た。
『名もなき野良犬の輪舞』のパク・フンジョン監督が「『新しき世界』を観て、韓国でもこういう映画を作れるんだと思った。周りからは似たような映画を作れば失敗するぞと止められたけど、僕は違うものを撮れると突っぱねた」と語ったそうだけど、これは確かに違うものだ。違うものだが、源流を見た思いがした。2013年に公開された作品ということでイ・ジョンジェが若く、その若さが利いている。西森さんの本を読んでからもう一度見返したい。『別れる決心』は、理解の補助線を得てもう一度見てみたい。