1年に一度

この週末は、今の私の1年におけるメインイベントといってもいいチョカの誕生日祝いがあり、その準備を全うすることにリソースの大部分を(特に心理的なリソースを)注いだ1週間だった。仕事に対してはもちろんちゃんと必要な力を注いだのだけど、この1週間で達すべき地点として常にお祝いのことが念頭にあった。そのお祝いを無事に終えることができて、心から安堵している。

今年新たに採用したバルーンボックスの飾り付けは、とてもかわいかった。100円ショップのバルーンボックスのケースはとても小さかったけど、中に小さいぬいぐるみと小さい風船を入れたらむしろとてもかわいくなった。中に入れるぬいぐるみの自作は間に合わなかったけど、かわいいのがあったのでよしとしよう。あの飾り付けは来年もしたい。

余談だが、これまでロフトに行くたびに大きいバルーンボックスがディスプレイされているのを見ており、「12月はあれを買うか」と目星をつけていた。そうしていざ買いに行ったら、なんとなくなっていた。年末で配置換えがあったのか、それとも商品自体の取り扱いがなくなったのか。店員さんに聞けばよかったのだけど、質問できそうな店員さんが見当たらず、自分で何周もぐるぐる回ったら疲れてしまったのだった。

飾り付けの話に戻ると、壁には風船を並べて、キラキラのカーテンをつるした。前日からカーテンをつるしておくと猫がじゃれて遊んでしまうのではないかと心配だったけど、無事だった。猫がカーテンを警戒していたのか、それとも年を重ねて落ち着いてきたのか(風船をつるすための透明のテープにはかなりじゃれていたので、警戒のほうかもしれない)。LEDテープライトは母に好評だった。テーブルの上にぬいぐるみ用のボア生地を敷いて、そこにプレゼントを並べたのも我ながらいい発案だった。

誕生日祝いも早数回を数え、飾り付けグッズが蓄積されてきたのはいいが、毎年使い回すと既視感が出てくるのは否めないなあと、今回思った。風船も空気の出し入れで傷みが生じてきているものもあるし、来年はちょっと変更が必要だ。天上側に白い風船をたくさん並べて、雲みたいにすることはできないだろうか。要検討。あと、風船をふくらませる手動ポンプはこわれるので予備が必要。来年への申し送りはこんなところか。

気張って飾り付けた部屋はパッと見非日常感があり(飾り付け以外はめっちゃ日常のまんまなんだけど)、チョカはそういう趣向をまだ喜んでくれる。ケーキは毎年一緒につくることにしているけど、搾り出すクリームの形やフルーツの並べ方には毎年確実に成長が見られて、驚くとともにとても楽しい(なお、ケーキのスポンジ、今年は違うのにしたけど、丸いほうは例年のスポンジのほうがしっとりしているという評価だった。ロールケーキ用の四角いスポンジ(サンラヴィアン)は大変好評だった)。キウイフルーツは酸っぱさがあるから好きではないかと外していたところ、なんとキウイが好きだということがわかった。抹茶の味も食べられるそうなので、緑の飾り付けに抹茶の粉を使う選択肢も出てきた。
http://www.sunlavieen.co.jp/item195.html

そういう時間を共有できる喜びは大きく、もしかしたら祝うこちらのほうが得ている喜びが大きいのかもしれない。得がたい幸せを分けてもらっている。そういう日を用意し提供できてよかった。「来年は(私が経済的に)どうなるかわからない」と毎年思っているけど、今年もどうにかできてよかった。

それでも、今年はパレスチナの子供たちのことが頭から消えはしない。日本国内だけ見ても、こうして誕生日を満喫できる子供ばかりではないことも知っている。それでもせめて子供の頃は、とりわけ誕生日は、心理的なものはもちろん金銭的にも可能な限り、本人の心に届くようなものをめいっぱい贈ってあげたいと思う。そういう気持ちの間を、ぐわんぐわんに揺れ動いた数日だった。

だからといって、気持ちを揺らすな(揺らすような情報を入れるな)などとは毛頭思わない。そういう社会を形成してきてしまった責任を背負う大人のひとりとして、その揺れは甘んじて背負うつもりでおり、揺らしてもらって全然かまわない。けど、できることがあまりにもわずかすぎて申し訳なく思う。

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