言うだけ言ってみる

私がメールの宛て先をミスったせいで、月末日の今日の過ごし方がだいぶ変わってしまった。1月中に終えられるはずだったのに……ほんと悔やむ……。納品期日に対しては問題ないけど、請求月(→入金月)が変わってしまうのがつらい……自分のせいだけど……。

しかも、今日から始まる予定だった別の仕事が、何の連絡もなく延期になってしまった。私がメール送信をミスったように、そのひともミスったのだろう。しかたがないし、幸いリカバリーは可能だ。しかし痛い。しかたがないので、例によってとっちらかったデスクトップとブラウザのタブを片付け、仕事の各種ログをつけて、請求書を作成して、結果のんびりした1日を過ごしてしまった。

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この1月は、能登の地震以降SNSにあふれていたひとの悪さ、醜さ、貧しさにかなりやられてしまった。パレスチナの虐殺を止めるべく抗うこととそれでもなお止められないことの間で(私なんぞがとは当然思うが)少しへばりかけていたところに、震災後1週間のSNSの惨状をまともに受けてダメージをくらってしまった。空港での事故における動物の取り扱いに関する反応も落ち込みを激しくした(動物を救えなかったこと自体も原因のひとつではあるが、「動物の命を人間はどう尊重するべきか、どう尊重することができるか」という話ができない状態に心底落胆したのだった)。

パレスチナであらゆるものを奪われ続けているひとびと、実際に被災した方々に比べればなんたるのんきなダメージかと思うが、そうして悪さ、醜さ貧しさを全開にした言説を出してはばからないひとが「マジョリティ」とな(ってい)る社会がこれから牙を剥く対象に、そう遠くない先に自分がなるものと感じたし、その社会にある大人のひとりとしてそんな社会を変えるべきなのに変えられようもないのではないかという失望も、途方もなく大きかった。何をする気力も湧かず、日記も書けなかった。「日記書けないなー……」ぐらいは思っていたけど、そのことに悔いを感じる気力すら湧かなかった。

そんな心情で毎日起きては寝て、確定申告の準備を終え、仕事を進め、SNSを覗くなかで、「自分のなかにどんな言葉をもっていても、それを出さなかったら、誰にも知られず消えていくんだな」と実感する出来事がいくつもあった。それは「価値ある言葉を自分はもっているのにもったいない」という意味ではない。

SNSには、私が関心を寄せている分野で着々と何かを成し遂げているひとが山のようにいる。毎日日記を書くひと、その日記をZINEにして売るひと、ZINEをつくってネットプリントに出すひと、大きいホールではなく地域の中や書店でZINEイベントをするひと、テディベアをつくっているひと、フェルトをつくっているひと……。そういう姿は、私からすればたいそうキラキラと輝いていて、まぶしくて直視できないこともしばしばある。

そういうときに、私はせめて妬み嫉みにならないように自分の感情を抑えるのだけど、心中で「うわああああ」となることはある。私がもっとちゃんと時間をうまく使って、なすべきことをできていたら、こんなふうに「出遅れた」ように感じることはなかったのだ、と思う。

でも、今は2024年で、私が「初めてやったひと」になれるようなことなんてほぼない。先を越されるもくそもなく、私は私がしたいことを自分のタイミングですればいい、そうするしかないんじゃないかと思うようになった(「自分のタイミング」に甘えてずるずる引き延ばすことがないように注意する必要はあるが)。なんなら、自分がするんじゃなくて、すでにしている先人の仲間に入れてもらってもいいんじゃないかとも思う。

いずれにしても、私がひとりで自分の思いを抱えているだけでは、それは誰にも知られることがない。誰かに知ってもらえたら、そのことについておしゃべりできるかもしれない。話すことで気づけることがあるかもしれない。一緒に何かできるかもしれない。そう思うようになった。

ほかのひとが輪になって楽しそうなことをしているときに、「なになに、何してるの〜」と入っていけばいいのに、それができない人生だった。その輪に求められているわけでもない自分が入っていったら邪魔になりいやな顔をされるばかり……みたいな卑屈さを発揮して、背を向ける人生を送ってきた。けど今年は、そういう輪を見かけたら「それ楽しそう!」「うらやましい!」「私もしたい!」ということを、言うだけでも言ってみようかなと思っている。いつもはたぶん無理だけど、できるときには。

ほかの方が何かをしたときに、私が「それ、私もしようと思ってたんだ」と言うことに対して、私はかっこ悪い、さらにいえばひとのアイデアを盗ろうとしていると疑われかねない“後出しじゃんけん”というイメージをまとわせている(あくまで自分の言動に対して)。だからそういう言及をできるだけ避けてきた。

でも、私が例えばSNSに「ZINEの小さいイベント、何かやりたい」って書いたときに、「それ私も思ってました〜」って書いてくれる方がいたら、基本的にめっちゃうれしいのではないかと思う。いろいろ話をしたいと思うんじゃないかと思う。テーマにもよるし、関係や言い方にもよるだろうけど。でも、言うだけ言ってみてもいいのかなと思うに至った。

そういうわけで、今年は「それ楽しそう!」「うらやましい!」「私もしたいと思ってたんだ!」というようなことを、少し積極的に言ってみようかなと思っている。そしてその手段の一つとして(も)、日記を書こうと思っている。自分の思考を整理する、言いたいことを(SNSの激流に流すだけじゃなくて)蓄積しておく、書いた日記をもとにしてZINEをつくる……そうしたことの起点に、私の場合は日記がなると思うんだ。そういうようなことを考えて、日記を再開した。

部屋の壁と、壁にかけてあるカレンダーに夕日があたっている。カレンダーはイ・キュテさんのイラストカレンダーで、2023年1月のもの。

(このカレンダーの日付は2023年1月のものです……今は2024年のをかけてあるよ)

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