今日は日中は仕事をして、夕方からの「ラファに手を出すな! 全国連帯デモ」の時間には手を空けられるようにしよう、と考えていた。そう考えながら見ていたSNSで、また『不適切にもほどがある!』に関する投稿が目に入った。その内容が、昨日寝る前に頭に浮かんだことと通じるものがあったので、これは書いておこうとSNSに追記。
その過程で、新たに投稿されていたパレスチナ連帯のネットプリント情報があったので更新。デモ当日だからほかにもあるかもしれないな……と検索したらやっぱりあった。時間的にもうデモが始まっている場所もあるかもしれないから、更新するなら今しないとだ。TwitterとInstagramとNotionを行き来して、合間に猫に呼ばれ、MastodonやBlueskyなども検索して……とぐるぐる回っていると、もう夕方が見えてくるような時間になっていた。
更新が追いつかなくなるほどたくさんのプラカードやフライヤーがつくられているということは、それだけ多くのひとが言葉や絵、デザインという手段で声を上げ、世の中に訴えかけているということで、いいことだと思う。でも、このパレスチナのことに関していえば、そうして声を上げたり、その声(ネットプリント)をシェアするような作業が不要になる状態が一刻も早くきてほしい。まずは、ともかく、即時かつ恒久的な停戦を。それは、声を上げている方々全員が思っていることだろう。
それはそれとして、私はこの更新の作業をもうちょい効率よくできるといいと思う。余裕があればNotionを勉強したいところだ。そう思ってこないだ本屋さんでNotion本を探したんだけど、なかったんだよな……。そして私のMacではなぜか「らふぁ」を変換すると「ララ」にされてしまう。ATOKは誤入力だと思っているのだろうか。17時過ぎからは、SNSに流れてくる各地のデモやアクションの様子をリポストしながら、官邸や外務省などに意見を送る。
今日も20時からBUCK-TICKの過去ライブの配信があった。今日はちゃんと忘れずに、最初から再生できた。SNSで投稿してくださった方によれば、今日のは2016年9月11日の「CLIMAX TOGETHER 3rd」(横浜アリーナ)というライブらしい。なんだかんだ数回BUCK-TICKのライブ映像を見ているので、なんとなく聞き覚えのある曲も増えてきた。「New World」という曲が特に気に入っている。
ここまで仕事のことをまったく書いていないけれど、仕事もした。予定の半分ぐらいになったけど、ちゃんとした。「今回の案件はそんなに根を詰めずにできそうだな」と着手1日目に感触を得て、実際その通りではあったけど、全体の所要時間は減らせなかった。やっぱり集中力の低下が著しい。この仕事はできれば今日終えておきたかったけど、それは無理そうだとわかったところで疲労もMax、強制終了。
【今日読んだもの】
名古屋で開催されていた「本読みデモ をやってみる会」に参加された方の投稿。
前半は室内でパレスチナに関連する本を読んだり話をしたりして、後半は外に出て往来のあるところで本を読んだりしていたようだ。立ってても座っててもOKで、それぞれが楽なかたちで、できるかたちで参加できて、その姿が道行くひとに対するアピールになるし、参加者自身は知識を得ることができる。すてきなアクションだなと思った。
【2024/2/23追記】
この土日にかけて『不適切にもほどがある!』についてSNSに投稿していたこと、先般日記に書いたことの続きにあたるので、以下に内容を転記。
↓↓↓
『不適切にもほどがある!』、「こうこうこういう趣旨で1986年の人間が不適切な発言する作品なので」的な字幕が出ているけど、第4話で“不適切”な発言してるの2023年の人間じゃんか。しかも子どもに。不適切どころじゃない発言を。なんだあれ。
ここまでも考えてたことだけど、たとえここからどんでん返しに入っていくのだとしても、各話ではひとを物理的・精神的に踏みつける表現を(件の字幕を出すのみで)そのままにしているわけで、それがひっくり返るのだという伏線すらしいてもいないわけで、ひとを踏みつけて憚らないことを(踏みつける側のみが)よしとしていた価値観に今でも執着しているひとを強化するだけなのでは?
いや、「執着するひと」はちょっと違うか。「昔はよかった」と言っていられるひと(「ポリコレ棒」みたいな雑な言葉をぶんまわしているひと)を楽しませるだけなのでは、か。
あと、やっぱ雑すぎない? 全編にわたって、なんかすべてが雑じゃない? 「ほんとにクドカンが書いてるの?」って疑念を抱いてしまうほどに雑じゃない?
クドカンが雑なものを書かないというわけではないが、こんななんか……「素人が想像で書きました」と言われても納得するようなものをさあ……
ほんとマジでおもしろくないよ。ポリティカルコレクトネスの観点をはずして見てもおもしろくない。
インティマシーコーディネーターという職業の扱いも悪意すら感じた。インティマシーコーディネーターの方が「監修は入っていないらしい」というようなことをツイートされてたけど、でしょうねという……。
こんなの見てる時間がもったいないし、ばかばかしいし、なにがしかのかたちで収益になってしまうのだったらものすごくいやだ。
私はクドカンの作品に低視聴率みたいなことで難癖をつけるこたつ記事大嫌いだけど、もし仮に、本作に対する評価についてクドカンが「また叩かれちゃって」みたいなことを言ったら「ふざけんじゃねえ」ってなるね……
不適切さの答え合わせのために見ているみたいな気分になるぐらいなら、私は『殺人者のパラドックス』2周目を見たほうがいい
ていうか先週の『光る君へ』も、今日の『お別れホスピタル』もまだ見てない
おれはクドカンに、クドカンの作品やラジオでの会話に、「このひとは変わり続けていけるひとなんだな」と思ってきたんだよ……ちょろいかもしんねえけど……
しつこく続きを書くけど、当該作品の雑さ、おもしろくなさの根源に、「この作品が生きている存在を描いているように思えない」というのがあると思う。
西森路代さんが「(サカエは)自分の言いたいことをある属性の人に言わせるために存在してるみたい」とツイートされてて、本当にそうだと私も思った。
この作品、サカエに限らず、現実に生きてるひとが出てる感じが全然しない。すべてのひとが、ある属性としてある言動をさせるためだけに存在している気がする。こんなに、生に対する敬意のない作品書くひとだったっけ……ってなる。
他方で、私が都合の悪いところをスルーしていたり、気づくための材料を持ち合わせていなかったために見逃していたことも、当然にいろいろあるのだろうな……ということも同時に思っている。
上川多実さんがツイートされていたけど、『監獄のお姫さま』で「逆差別」という言葉を批判的ではなく使ったというのは、私は全然見逃していた。全話は一通り見ていたはずだから、私がそこにひっかかれてなかったってこと。2017年放送のドラマ。
だから、鈴木みのりさんの〈「宮藤さんと磯山さんにはずっと期待してたのに裏切られてひどい!」というナイーブな意味でなく、視聴者としてこういう作りを許容し、広めてきた自分への反省含めての投稿かつ、提案だし〉というツイートにもはっとする。
これは「ダウンタウンの『お笑い』を享受してきた者である私」にも共通するものがある。私は、少なくとも20世紀が終わるちょい前ぐらいまでは、あの「笑い」を楽しんでしまっていたので。
自分の消費がどういう社会をつくってしまうかという、言葉にするとピンとこないかもしれないようなことが、本当に実感として手元にある。