ゆらぎ

朝ご飯を食べながら、配信期間終了までもうあと数時間のドキュメンタリー番組〈MBSドキュメンタリー 「映像」シリーズ 労組と弾圧~関西生コン事件を考える~〉を見た。警察という権力が「逮捕」という力を振るえることの恐ろしさは、どれだけ警戒しても足りることはない。

子どもだった頃、私は父に死刑への賛否を問うたことがある。父の答えは否。正確な言い回しは忘れたが、「警察が常に正しいとは限らない」という主旨だった。子どもだった私にはピンとこなかったけど、年を重ねるにつれ(そして政治がひどくなるにつれ)その意味がぐいぐい迫ってくるようになった。

このドキュメンタリーでは、労働運動をつぶそうとする経営者が右翼の活動家に月額何十万円という報酬を支払って妨害活動を仕向けていたことを、当の活動家が悪びれもせず話す場面がある。でも今、SNSを見ていると、番組のサイトに書かれているように〈「どうせ過激な行動をとったんだろう」「反社会的勢力とつながっているのでは」だから「逮捕されても仕方ない」〉という矢を向けられるのは労働運動をする者であり、権利の尊重を訴えるようなアクションをとる者だ。こういう社会になってしまったのは“天災”ではない。人間がこういう社会にしたのだ。

ともかく、すんごいドキュメンタリーだった。動画配信サービスで配信してほしい。

ぬいぐるみをつくっている方のSNS投稿を読んで、ぬいぐるみの交換も楽しいかも、と思った。もっとも、私自身は最近全然縫えてないので、交換も何も話はそれからなのだが……。金曜日のウォッチパーティーに向けて、「パラレル」を予習。Mastodonに投稿した通話ルームの招待リンクがうまく機能しないことがあるとのこと。URLの直接投稿と合わせて、URLを記載したドキュメント(Notionとか)も用意して投稿したほうがいいかもしれない。

【今日読んだもの】

◆SOUNEN 25号 私なりのSTOP GENOCIDE、春(あゆみん)

ネットプリントで公開・配布するZINEを「ネップリジン」と称したあゆみんさんのネップリジン。もう25号も出してるんだ、すごいな……。そのあゆみんさんがパレスチナ連帯のSTOP GENOCIDEアクションに参加したときのことや気持ちが綴られている。

「FREE PALESTINE」「STOP GENOCIDE」といった言葉は、一見、ゴシック体でドンと書かれた文字のような強さをまとっているように見える、かもしれない。けど、その言葉を発して「私なりのSTOP GENOCIDE」をしている多くのひとには、何らかの葛藤があり逡巡があり、できることとできないことの狭間で悩む思いがあり、あまりにもでかい社会の構造にめげそうになる思いがあって、毎日ゆらぎながら、それでも「私なりの」をどうにか続けているのではないかと思う。あゆみんさんの「私なりの」を読むことができて、本当によかった。書いてくれてありがとう……と勝手に思った。

◆プロテスト・モノローグ(オカワダアキナ)

小説を書いているオカワダアキナさんが、ご自身の主催した2月のコピー本交換会のときにつくられたコピー本をネットプリントで公開してくださったもの。こちらのZINEも、プロテストをするひとりの中にあるゆらぎが書かれている。絶妙だなと思ったのはそのデザイン。文章が、あるページは縦書きで、あるページは横書きで、写真を織り交ぜながら書かれている。それによって、文章の内容だけでなくその紙面からも、オカワダさんのゆらぎを追体験しているような気持ちになった。

このなかに〈言いたいこと、言いかけてやめたこと、ぐずぐず迷うこと、そういうのがいっぱいあるのだ〉との一文がある。私もそういうのがほんといっぱいある。そういうのを、私はまずは日記のかたちで写し取れたらいいなあと思ってやっている。ぐずぐずの記録。感想を書きたかったのに自分の話になってしまった。


あゆみんさんのネップリジンの最後のページには、「ネップリジンもなかなか一方的な発信になってしまうので」とある。確かにネップリは直接的な双方向のコミュニケーションではない。けど、画面を通じて印刷した紙のこっち側で「そうそう〜」とぶんぶん首を振っている者がここにいる。今回私は、あゆみんさんにもオカワダさんにもこの感想を届けることができたけど、数多のネップリの向こうで、作者の知らないところでも、そういうふうに“会話”しているひとがいるのだろうと思う。

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