仕事、仕事、姪、人間関係

前回日記を書いた時期は相変わらず仕事がなくて、それならばと確定申告をやっつけつつ、手伝っている保護猫ボランティアの仕事をしようと考えていたと思う、「明日起きたら、やるか」と。そしたらありがたくも仕事の声をかけていただき、それがどれも急ぎだったもんで、息を詰めるように仕事して一月過ごしていた。

姪の成長はすさまじい。遊びもカルタ、トランプ(ババ抜きと神経衰弱)、ジェンガと変化している。地面をにょろにょろ這わせるなわとびも飛べるようになった。前からやっていたねんどやブロックやお絵かきも、もう全然違う。「人形の家をつくる」「こみ(わたしの猫)の絵を描く」という明確な目的をもって着手し、それを本人なりに達成できる。「泣きそうになった」という感情表現を聞いたときは、こちらが(その成長ぶりに)泣きそうになった。

この一月の間、プラスの方面に感情をゆさぶられたことは姪のことぐらいだったと思うし、実際いまの生活で「明日がくるのが楽しみ」と思えるのは姪が来る時間ぐらいだ。あとはもうひたすらしかたなく死ぬまで生きている毎日。毎日政治に怒っているし、毎日お金の不安を感じている。

前回の日記に書いた「ある1日教室」には、結局参加した。教室側もアクリルの衝立や換気対策などを十分にするという話だったし、その先生の手技をどうしても知りたかったから。
結果はというと、基本の流れは(事前想定どおり)知ることができたが、深掘りしたかった部分は叶わなかった。時節柄、たくさんしゃべるわけにもいかないので雑談まじりの質問はしづらく……、プリントにないような、たとえば「ふだんはどこのものを使っているか」とか「この作業のキモはどこか」とか聞けたらよかったのだが。

それより何より残念なのは、どうやらわたしは生徒としては気に入られなかったようだということだった。やっぱ先生も人間だから、好きなタイプの生徒、接しやすいタイプの生徒、相性の合う生徒とそうでないタイプの生徒がいる、小学校でも中学校でも高校でも(大学は行ってないからわからない)。そして大人になってカルチャーセンターに通うようになっても。で、わたしはいつも後者なんだ。特に大人になってからは。今回も途中から、その気配をビシビシと感じて、しんどかった。

その先生が教えるの初めてだからとか、途中で時間がなくなって焦っておられたからとか、わたしがそのジャンルで多少経験があったからとか、影響した要素はいろいろあったと思うの。でもそれだけじゃないんだと思う。こちらが質問したくて先生の巡回を待っていた時間に、ほかの机から生徒とじゃれあう親しげな声が聞こえる時間が何度かあったのは、しんどかった。

今クール、「友達のいない女性」が主人公の「ナイルパーチの女子会」というドラマを観ていて、友達がいないのはいないだけの理由があるわけなのだが、わたしも友達がいないのはいないだけの理由があるという自覚はあり(あの主人公ほどに境界を越えてはいないつもりだが)、なかなかにしんどい。前回、幼なじみが主人公に対して「学校や会社は努力でどうにかなっても、友達だけはどうにもならないんだよ」というような内容のセリフを投げかけたときは、気を抜いていたら致命傷になったかもしれなかった。

今はもう、「『友人との共同生活』で老後を乗り切るプランを模索できる人はうらやましいな」と思うとき以外は別段友達を求めることもないし、しいていえば姪に執着しないように気をつけようと思うだけだけど、目の前で「嫌い」オーラを出されてしまうのは何がどうでもしんどいなと、そういう時間になってしまったのはちょっと残念だった。

かねてよりTwitterジャパンの横暴ぶりには腹が立ちつつも、そのプラットフォームから離れられないでいたが、今日Twitterジャパンのあるツイートを通じて「そういう離れられなさを馬鹿にされ、足元見られてるんだな」という当たり前の事実を直視するにいたり、スマートフォンからTwitterアプリを削除した。noteと同様、すぐには切れない最低限の利用はPC上でする。その分本を読み、日記を書こうと思う。

2件のコメント

  1. 久しぶりに読みに来たらちょうど更新されていてうれしかったです!

    1. 不定期もいいとこですよね笑。
      きてくださってとってもうれしいです〜

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