今日おわったこと

年が明けてから、特にここ1カ月くらい、強いストレスになっていた関係が今日終了した。
事の次第と感情をここに記し、成仏させようと思う(すぐには無理だと思うが)。

昨年ひょんなことから、地域の動物の保護活動をされている方と懇意になった。
その方には過去に大変お世話になったので、そのお礼にというわけではないが、自分ができる範囲で活動を手伝っていた。

その方が地域のある企業から支援をもちかけられ、団体を立ち上げて組織として活動することになった。
わたしは成り行きでその組織の立ち上げを手伝うことになった。

ところが、いざ蓋を開けてみると、その「支援をもちかけ」た企業が当初の話とは違うことをしはじめた。
端的にいえば「金は出すが口は出さない」というような話をしていたのに、金の出し方が話と違い、活動の邪魔になるほど口を出してきた。

その方は困った。でも動き出してしまった話を止めるのは難しく、どうにかやっていくしかないと腹をくくった。
ならばと、わたしもできるだけ手伝うつもりだった。組織の立ち上げ期を無事乗り切れば、どうにかできるだろうとも考えていた。

でも実際はといえば、話は、その方やわたしが思わぬ方向に進み続けていった。
その進み方は、その方がこれまでに築き上げてきたものを壊してしまう危険があった、とわたしは思った。もしそうなれば、保護している動物が困ることになる。だから、できるだけ進み方の衝突が穏便に済むようにと、考え得るありったけの提案をした。

ところが、その提案が組織の怒りに触れた。
そして今日、その組織から「もういいです」と言われた。
話の通じる相手なら言葉を尽くして誤解を解こうという気にもなるが、そういう相手でないのはこれまでの経緯で十分わかっており、わたしの気持ちも完全に切れた。
その方とはまだ話をしていないけれど、こうなったらもう、その方がどうであれ無理だろうと思う。だから終わりにすることには同意した。

この、数カ月のうちに起こった一連の出来事について、わたしが心から反省し悔いているのは以下の点である。

・いい話をもちかけてくる相手には「冷静に。まず勉強して、事業計画をつくってみてください。それから話し合いましょう」と言うべきであったこと。

・「いい話」は必ず書面にして、双方の署名・押印を行うべきであったこと。

・ともに運営する相手が「話が通じない人」である可能性を考慮し、防御ラインを構築すべきであったこと。

・以上のことを、その方に実行に移してもらえなかったこと。

組織の話については、わたしはその方から相談されただけの傍観者で、実際の協議の場にいたわけでもなく、当事者として口をはさむこともできなかった。なのであくまで助言として、上記のようなことを伝えてはいた。けれど結局、これらは実行に移されることなく、結果こういうことになった。

人に伝えるのは難しい。人を動かすのは難しい。
自分が責任をもてる範囲にいられないなら、あのときこんな助言をするのではなく、「そんなのやめたほうがいい」と助言すべきだったのだろうか。

この後悔が、これだけが、わたしがその方に、ひいては保護されている動物たちに申し訳ないと思うことであり、この思いだけが、このストレスフルな一連のやりとりにわたしを引き留めていた思いだった。

その方だってもういい大人で、決定権はその方自身にあり、その決定権にわたしが関与できるものではないこともわかっている。だから、わたしが悪かったと自虐的に責任を負うつもりもない。それでも、こうなってしまったことの責任の風呂敷の端っこの一部はわたしが握っているという思いはあって、その申し訳なさは切り離せなかった。

でももう、切られたのでそれもおしまいだ。

そして、この一連の出来事からわたしが得た教訓は、以下の点である。

・書面での確認、やっぱりものすごく大事。大前提。これができないような相手とはいずれどこかでうまくいかなくなる。

・人は動かせない。自分の意思決定が通じない協働は、わたしには無理だ。

・世の中には、致命的に話の通じない相手がいる。

・わたしは人との会話に向いていない。したがってそもそも、人との協働に向いていない。

これまで二十数年、社会人として仕事をしてきて、社内にも社外にも「わからんちん」は一定数存在した。でも、レイヤーが違う「わからんちん」はそれほどいなかったのではなかろうか。特にフリーランスになってから、レイヤーの違う「わからんちん」がクライアントにいなかったのは非常に幸運であった(その幸運につながれた大きな要因は、やっぱり書面対応の徹底だったり金額交渉のやりとりだったりだと思う。それが一種のハードルになる)。

と我が身を振り返ってしまうほど、今回の相手はレイヤーが違った。知り合わないほうがお互い幸せだっただろうと思う。
今回の一連の出来事を、今後の仕事に生かしたいと思っていたのだけれど、その展開を考えるうえでこれは非常に示唆に富む経験となった。と思わないとやっていられない。

あの組織の一部の人間については怒り心頭だけど、その方に対して含むところはいまもない。むしろ今後はもう手伝えないこと、幸運を祈るしかできないことを申し訳なく思う。

あと、あの組織の一部の人間に対する言動の一切については後悔はないが、業務上のやりとりにおいてわたしの伝達のしかたが悪くボランティアさんに苦労をおかけしてしまったことは申し訳なく思っている。今回こうならなかったとしても、このご苦労がたぶんいつかは、関係解消につながっただろうと思う。だからわたしも早く引き継ごうと思っていたし。

ドラマ「ナイルパーチの女子会」を観ていて、あの登場人物全員大っ嫌いなのだけど、それは間違いなく同族嫌悪だと思う。
画面を観ていると「えっ」「はあ?」となるけれど、あの栄利子の姿は、過去のあれやこれやを思い出して「何をどうしてたらよかったんだろう」と考えているいまのわたしときっとそう遠くない。
だから今生において友達関係を希望するのはもう諦めた。仕事関係でくらい、こうした失望とは無関係でいたい。

ここまで書いてだいぶすっきりしたけど、ちょっとしたときに涙が出るくらいにはまだだいぶ悔しくて悲しくて腹立たしい。今日はもう確定申告作業の続きを諦め、酒を飲み、寝ることにする。

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