わたしはタコになりたい

「これ! これ! こういうことをしたかったんだよ〜〜〜〜〜〜」という思いでいっぱいになる場所を知ってしまった。

本を通して、子どもたちに必要な情報と安心できる場所を提供する私設図書館です。
しばらく不定期の開館ですが、使いたい日や時間など朝夜問わず柔軟にオープンできます、お気軽にご連絡ください

https://www.instagram.com/kinugasa_li/

名前もいい、とても端的で颯爽としている。

この図書館がある場所は、わたしが子供でいられた時間を過ごした場所の重要なひとつだ。あの頃は本屋さんが3軒あって、おもちゃ屋さんが2軒あって、たいやき屋さんがあって、アイシーが飲めて、ファンシーショップとレンタルCD屋があって、ちょっと離れたところには児童館があって、わたしはあの児童館で『ガラスの仮面』を何度となく読み返した。今はそこに、こういう場所があるんだな。

今日はある経緯から、ある棚貸し書店の一棚店主になることを考えていた日だった。その夜に、この私設図書館のことを知った。もともと関心を寄せている分野であったから、この出合いはある種の必然ではあって、このタイミングに必要以上の意味づけをしているわけではない。でもちょっと思うところはある。少なくとも今は、一棚店主になることを急ぐよりも、この図書館にうかがって、この図書館をつくった方にお話をうかがってみたい。

 ◆◆◆

しかしこの件でも、わたしがもうずっと自分がなすべきことを定められていない、ということがくっきりしてしまった。毎日そう。やりたいことが8個ぐらいあって、何からトライしてみるか決められない。そんな日々が続いている。片っ端から1個ずつトライしてみればいいのかもしれないが、そのやりたいことの向こうにうっすら「あわよくば仕事につなげたい」という欲求があるものだから、最短ルートを求めてしまう気持ちがあって決められない。どうしよう、どうしようとあわあわしている間に時間が過ぎていく。

でも、何をするにしても「できる」ようになるには時間の積み重ねが必要だ。それを仕事の創出につなげようとすれば、一定の習熟が必要となる分、さらに時間が必要だ。だからこんなふうにうだうだしていればいるほどスタートが遅れるだけなのだ。そして、うだうだしているほど、当初の好奇心がうすれていく。活動し出して初めてやる気が出る仕組みのように、手を動かしてみて初めて見えるものもきっとあるはずだ。だからうだうだしているのはもったいない。それはわかっている。わかっている。わかっている……。

このことを考えていくと、いつも最後は「布団の上で死ぬための道筋をつくりたい。それができるなら何もできない無名の誰かでかまわないし、明日死んでも別にかまわない、むしろ安心する」に行き着く。自分の好奇心とお金を結びつけて考えてしまうのは、心も財布も貧しいからなのだ。人生におけるストック収入をつくっておけばお金の心配なく本懐に挑むことができるようになる、というのは、本当に本当に若い頃に教えてほしかった。今からでは不動産を買うことも海外逃亡することもままならない。

いつからか、初めて知り関心をもった方の生年を見て、自分の年齢と比較し、「自分と同じぐらいの方なのに、この方はこんなにすごい」「この方はわたしよりこんなに若いのにこんなにすごい」「同じ年のこの方は、もう死ぬまでお金の心配をすることもないのだろうなあ」などと考えることが増えてしまった。やばいね、まずいね、不健康だね。そんなことを思うぐらいなら、趣味100%でなんでもやってみよう。

この場所は一応日記というくくりだけれど、わたしにとってはもはや、思考を吐き出して整理する作業のパートナーでもあり、感情を吐き出してちょっとすっきりさせてくれるセラピストでもある。ここを作れたのはよかった。頭のなかでもやもやをループさせないこと、書き出して可視化すること、大事。こわいけどね。

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