毎日溺れている

やりたいことが多すぎて、何一つできなくて苦しい。
そのことは前にも書いた。ずっとそうだから。
腹の中にたまったやりたいことたちが小さい出口に殺到し、それで出口が詰まって、誰も出られない。そういう状態がもうずっと続いている。

私が会社員で、定時で帰宅したあとの時間や土日を自由に使える余裕があったら、その糞詰まりをちょっとずつ引っ張り出して楽しんでいただろう。
「○曜日はベア」「○曜日はフェルト」みたいに時間割にしてもいい。
ランダムに引っ張り出して、どれも少しずつつまみ食いしてもいい。
生活や人生をより豊かなものにする活動としてなら。「より」、つまりプラスアルファの活動なら。

でも、今の私にはその余裕はない。
食い扶持を稼ぎ、これからの生きる術を打ち立てるので必死だ。
時間があれば、新たな収益の柱を模索しなければ。
そういう状況で「趣味」を楽しむことは許されない気がするし、実際余裕はない。

何かをやるなら、それをどうにか「生きる術」につなげたい。そういう欲がある。
どのジャンルにもすでに多くの先達がいるなかで、そんなことが可能なのかよと自問するし、可能にするためには少しでも早く少しでも多くやらないとだめでしょと自らを責めるけれども、そうしてうだうだしている間に時間はどんどん過ぎていく。

一つひとつは好きなことなのに、好きなことをできないのはつらい。
そして、興味のあることは日々増えていくのに、それをやってみることができないのもつらい。つらい。

その心情を言い当てられたようなツイートを拝見し、これは書き留めておかねばと思ったのが、久しぶりの日記を書けた原動力です。

毎日「俺はどうなるべきなんだ…?」と自問自答しているが向上心が高いというよりは溺れている感じに近い

📦(@package_emoji)さんのツイート

私も毎日溺れている。

◆ ◆ ◆

会話がかみあっているようでかみあっていない対談、実のあることを言ってそうでふわっとした話ばかりの対談を、中身のありそうな記事にするのはとてもとても難しい。すぐれたインタビュアーの不在に、その価値を痛感する。

おかげで納品、自分のなかの想定スケジュールより2日も遅れちまった。いやもちろん、私の集中力のなさとまとめ力の低さによるものである。
どうにかかたちになったので、改装売り尽くしセール中のスーパーに行った。想像していたけど行くのが遅かった。めぼしい棚はすでに空っぽ。でも割引の恩恵にあずかれたものもあった。

スーパーは自転車でちょっとの移動なのに、帰ってきてシャワーに入ってご飯を食べるともう1日が終わったかのようなだるさに覆われてしまう。
ご飯を食べたあとは次の仕事をしようと考えていたけど、手も頭も動かない。まず手を動かそうとメールの整理から開始。
明日以降に予定していた案件のキャンセルのお知らせが届いていた。これで、2日の遅れに息をつくことはできるが、喜べはしない。先方の事情も致し方ないものだと理解しているが、直前のキャンセルをそのまま受け入れるべきかどうかは考えなければならない。受け入れるどうかというのはつまり、キャンセルフィー的なものを一定程度交渉するかどうかという意味だ。要検討。

いいお知らせもあって、新しい仕事のお声がけもいただいた。情報を整理してお返事して、もうこれで今日は終了だな。次の案件は明日からだな。
寝るまでにはあと何時間かある。何時間か。この時間、この時間だよ! この時間をどう使うか。そうして振り出しへ戻る。

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