朝から雨。けっこうしっかりの雨。
晴れた土曜日ならチョカが自転車でやってくるところ、雨なのでバスでの移動になる。ただ、先週バスに乗って車酔いしたチョカは、もうバスに乗りたくないとのこと。そこで今週は、私がチョカ宅に遊びに行くことにした。バスに乗り、行きがけに今期何度目かの草餅を買う。
チョカ宅は学校へ持っていく道具の準備が佳境を迎えていた。例えば単語帳のような教材があるのだけど、その紙1枚1枚にも、名前シールを貼らなくてはいけないのだそうだ。確かに大切なことだが、保護者の負担は大変だ。
チョカ母が買い物に出かけている間、チョカと私でその単語帳のような教材に名前シールを貼ることになった。要領を聞き、いざ実践。
着手する前は、最初は割と私が要領を教える感じになるかなというのと、半分ぐらい私がやることになるかなと想定していたのだけど、まったくもってそんなことはなかった。私が教えずとも、チョカは仕上がりがきれいで効率もよい貼り方を自分で見つけ出していたし、全部を自分でやり遂げた。この、子供の成長というものは、何度接しても新鮮だ。新鮮でキラキラしている。
そのあと、卒園時の記念制作でつくったという絵本を、著者の解説のもと読んだ。
保育士さんが絵本の制作を完成までどのように導いたのかわからない(そのプロセスや教え方にも非常に興味がある)けど、ストーリーがあってキャラクターがいて物語が成立している、それを幼児がつくりきることができるってすごくない? 物語を完成させること、ものづくりを完成まで運ぶことを目の前のチョカが、それからチョカと同じクラスだった全員が成し遂げたのだということに、けっこう衝撃を受けた。
チョカの絵本しか読んでいないけど、キャラクターもストーリーもとてもよかった。ほかの子の絵本も読んでみたかった。
あと驚いたのは、ホチキス。
ホチキスの本体を開き、針を補充して本体を閉じるとき、ホチキスの針が1つ飛び出てしまう。あの最初の1個をもったいないと思う感覚を、チョカはすでにもっていた。それをどこで知ったのか聞いたけど、覚えていないとの答えだった。1日1日にいろんなことが新鮮に起こるだろうから、覚えていられないだろうな(あまりかわりばえのしない1日1日を送っている大人こと私は、もはや記憶力の欠如ゆえに覚えていられないが)。
それからも、バラの描き方、たこ焼きの焼き方、「そんな言葉を知ってるの」と思うような語彙……すべてが変化の連続だ。それはこの日に限らずなんだけど、この3月はその変化の連続が本当にめまぐるしい。新鮮でまぶしくてうれしいけど、こうして子供は大きくなっていってしまうんだなあという大人の勝手な感傷もある。