信じたくない

何が信じたくないかって、印刷するために出かけたのに、印刷する原稿データを家に忘れた自分をだよ。

最初のリソグラフ印刷になる予定だった。新しい原稿はまだできていないので、過去の制作物のデータと直近でつくっていたネップリ用原稿のデータを使って、リソグラフの印刷の流れや濃度を経験するつもりだった。カラーイラストをグレースケールに変換した原稿の印刷濃度がどのようになるか、知っておきたかった。何より、早く自分で印刷してみたかった。

それがUSBメモリを忘れてしまった。そのための外出だったのに。信じられる? 気づいたのは、印刷場所の最寄り駅に着いたとき。電車のなかでしていた考え事からUSBメモリを想起したあと、「……あれ、バッグにUSBメモリ、入れたっけ……」となったのだった。駅に着いた電車を降りて、バッグをあさる。ない。ポケットを全部確認する。ない。ない。予約時間が迫っていたので、とりあえず印刷場所へ行く。もう1回バッグとポケットをすみからすみまで見る。ない。やっぱりない。どこにもない。

家を出る少し前にデータをUSBメモリにコピーして、USBメモリを抜くためにデスクトップでごみ箱に入れた。そこまでは記憶がある。そのあと、USBメモリをHUBから抜いた記憶は……? ない……。その辺りでちょうど母から話しかけられたり、電車の時刻表を見たりしてしまった気がする。USBメモリを抜いてしまうまでの操作を、なぜ完了させてしまわなかったのだろう。

手元にあったのはiPad。それと、お店の共用USBメモリ。iPadには原稿データは入っていなかったけれど、もとになるデータはいくつかあったしアプリも入っていたので、それを操作すれば原稿はできる。そのデータをお店のUSBメモリに移せれば、印刷できる。
ということで、その場で試行錯誤してみることにした。コンビニや電気屋さんをめぐってiPadに差すことができるUSBメモリがないかどうかを探しもしたし、最終的にUSB変換ケーブルを購入した。iPadでデータもつくった。けど、私の変換ケーブルのチョイスが間違っていて、USBメモリにアクセスできなかった。ここでがっつりうなだれて、近くにいた人を心配させてしまった。

それでも、変換ケーブルは1000円だったし(まあ「ケーブル買う用事がなければ本かZINE買えたな」とは思ったけど)、その試行錯誤自体は楽しめもした。
ただ、私がその手の忘れ物をするというのがけっこうショックだった。ポケットに入れた小さい物を何かの拍子に落とすとか、肝心なものを忘れるとか、そういうのは大人になってからはほぼしてこなかった。それだけに妙な自信があった。けど近年は、「フェルト教室に行くのにタオルを忘れる」みたいなことがちらほら生じていた。……あれ、でも近年でもないな……15年近く前にダイビングに行ったのに水着忘れたことがあったな……。

まあともかく、私は絶対大丈夫だと思っていたのに、もう大丈夫じゃない。それをつきつけられたのがショックだったんだ。仕事がそこそこある日程のなかで割いた時間を自分のせいでむだにしてしまったことにも悔いがあった。

でも、もうそういう自分なんだと認識して、対策をすることでのりきるしかないとは思っている。老眼に対して老眼鏡を買ったみたいに、必要な対策をするしかないんだ、もう。
さしあたって、次に印刷に行くときはパソコンごと持っていこうと思う。原稿の濃度を調整したくなるかもしれないし。

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