最近、ここに日記を書いたあと、SNSでURLを投稿しようと思うようになった。
ここで日記を書きはじめたときは、SNS上のしがらみ(というほどの人間関係を私は構築できていないが、それでも)からも解放された状態で書きたいという気持ちがあったし、何より「私の日記など……」という気持ちから、インターネットの海に自然に漂っていればいいと思っていた。
けど最近は、そのボトルメールをもう少し遠くまで流してみたいと思うようになった。Twitterが「終焉」を迎えそうだという状況の影響もあるけど、それよりZINEやネットプリントをつくりはじめたことの影響が大きい。無理に遠くまで届けたいとは今も思わない。でも今漂っている辺りは波がなさすぎる。もう少し自分で波を起こしてみようと考えた。手で水をかくみたいに。
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前回の日記を書いたあと、さっそくそれをしてみようと思ったのだけど手がとまったのは、内容にひっかかったからだった。世界で、そしてほかならぬ日本でも労働問題を引き起こしているようなプラットフォームを利用することの告白を私は自分で遠くに流すのか? 何のために? 誰かの許しを請うために書いたものではない。自分の生活の記録として書いた。書いていない感情もある。でも、それをSNSに流すことは、違う意味づけをしてしまうような気がした。URLを流したところで、おそらくほとんど読まれることはないだろうけど、それでも。
そんなような気持ちがぐじゃぐじゃになって、私は一旦、前回の日記を非公開にした。もちろんSNSには投稿していない。
ちなみに、買い物の続きはというと、生活に必要な消耗品を追加で注文して終了した。プリンタはまたいつか。母に掃除機や食洗機をとも思ったが、財布が追いつかなかった。食洗機は本当にどうにか入手したいのだけど、置き場所をどう工面するかという長年の課題を解決できていないので、今回も保留に。猫の爪とぎも、これっていうのが見つからなかった。決断リソースと銀行残高をひたすら消費して、疲れただけの2日間だった。前回の日記は、このあと公開状態に戻す。
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今かかっている仕事はビジネス書の校正。今回に限らずだけど、文章を書くのが本業でない著者によるビジネス書・実用書の原稿、どういうスタンスでどこまで指摘をするべきか、迷うことが多い。私は校正者であって、著者でも編集者でもない。その線は守らなければならないが、その線の引き方が本当に難しい。案件・クライアントによって求める内容も違うし。そして、そこにとらわれすぎると単純な誤字脱字衍字を見逃してしまいかねないし、時間も足りなくなる。
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夜入ってきた、ある著名人の訃報。詳細はわからないが、「差別は人を殺す」ということを改めて想起したし、このことを大声で叫ぶ必要があると感じた。
必要なのは、政権与党に不利な言論を取り締まることができてしまうような法律でもなく、マジョリティに「配慮」するという名目で差別を助長しかねない法律でもなく、差別を禁止する法律だ。もちろん教育も必要だし、「差別は許されないもの」「人権は誰にでもあるもの、尊重されて当たり前のもの」ということなど言うまでもない社会にしていく必要もある。暴力の被害を防ぐために必要なのは暴力加害(舎)への対策であって、特定の属性に該当する方の排除ではない。
この報道があったあと、Twitterの私のタイムラインでは、自分を守り生きのびようと、誰かを支え励ますような投稿が相次いだ。そのなかに「こんなときはネットではなく友達と話そう」というような内容があって、友達がいない私はこういうときどうすればいいのだろうかと思った。今回は大丈夫だったけど、大丈夫じゃないとき、どうすればいいんだろう。
1年前の7月8日は、目の前が真っ暗になった気がした。生存中に数多の悪をなした人物の死亡が悲しかったからではない。社会がもっともっと悪くなる予感しかしなかったからだ。あのときは画面に向かっているのが無理になり、本屋をはしごした。昼間だったから外に出ることができた。
でも今回は夜で、外に出ることは難しいし、出たところで居場所もない。ひとり暮らしではない家では、叫んだり泣いたりすることもままならない。そういうとき、友達がいない私はどうしたらいいんだろうな、とぼそっと思った。その投稿をした方や投稿に対して思うところはまったくないけど、自分に適用しようと思うと難しいなと思った、という話。
こういう、気が散りまくるときに校正の仕事というのはまったくもって相性がよくないが、今回はどうにか集中状態に戻ることができたので、ひたすら仕事した。あと、作者の方が90%OFFセールをしていたprocreateのペン・テクスチャセットを買った。アメリカドル価格が日本円換算されたPayPalの画面を見て、ショックのあまり一旦画面を閉じてしまったが、思い直して決済した。自分のためのあがる買い物としての注文のはずだったのに、またひとつストレスを背負い込んでしまっただけのような気もしないではない。