精神的不調の吐露

ここ数日、仕事はないわ、差別のこと考えていろいろ手につかないわで、「何もできない私は最悪」になっている。そういうときに限って、SNS上をどんぶらこと成功者の軌跡が流れてゆくのが目に入る(「成功」の定義はいろいろだ)。その軌跡は私にはまぶしすぎて妬ましい……と感じるターンに突入したことを自覚したので、明らかにでよくない状態だ。

先週末の時点で「今週は毎日雨だ」という予報を家族に聞かされ、検討していた外出予定をいくつかとりやめたのだけど、週明けてみたらけっこう晴れている——というのもじわじわ効いている。
いまさら晴れても遅いのだけど、それは自分が常に準備できている状態ではないからだ。自分が「いつでもOK」に準備できていれば、「晴れたからやっぱり行こう」とすることもできた。結局のところは自分が無能なのだ。天気予報は悪くない。天気予報を聞かせてきた家族には腹が立ってしまうが、それはやつあたりであって、悪くないのもわかっている。悪いのは自分なのだ。

こうしてずーんと気分が沈むのは、つまるところ金の心配なのだ、という原因がわかっているから大丈夫だ。手当ての仕方はわかる。金がないという意味ではまったく「大丈夫」ではないし、手当てのめどもつかないが。

◆◆◆

何もできないながらひとつできかけてきたことがある。もうずーっともやもやしている「特定の属性に対する差別」と「その差別に抗う行動のハレーション」について、自分がどう思っているかということを少し整理できた。

それは、Mastodonでいろんなひとが少しずつ書いておられた「自身の思い、スタンス」があったからだ。そうした内容に共感し、考えることで、私にとっての論点を明確にすることができた。
そういう言葉を読むだけでいるのは、ほかの誰かに言わせているようで気が引ける。かといって、はっきりしない言葉を不用意にSNSに投稿するのはためらう。それによって誰かの傷をいたずらに広げてしまうことを懸念する。それでも、自分の言葉が先人のそれに連なって誰かに届けばという思いもある。まだ迷っている。

この数日、仕事がなかったこともあって本当にこのことばかり考えていた。考えるのは大事なことだけど、もうちょっと距離を置く必要が(私には)あったなと思う。
それは、本件に関してまったくの非当事者であり、崖の高いところにいられる特権性を有する自分だからできることである、という自覚はある。「距離を置けるひとの特権ですね」といわれたらそうですねとしかいいようがない。でも、すべての問題に常に膝を突き合わせ続けることはできない。
完璧ではない私が、すべての差別に抗っていきたいと考え、できることからできるときに実行し、それを積み重ねていくためには、自分自身が生存を続けていくしかない。

◆◆◆

私がどうにか約80日継続できている数少ないことのひとつにDuolingoがある。
昨日も寝る前にDuolingoをしたのだけど、半分寝ていて間違えまくって、合間合間では全部寝てて、ひとつのステップをクリアするのに21分かかった。最後に「21分がんばったね!」みたいなメッセージが出てきて笑った。

Duolingoは無料でもできるけど、広告非表示などいろいろな特典のある有料コースがある。今は有料コースのお試し中で、間違えてもハートが減らない(無料版は間違えるとハートが減り、ゼロになると1日程度できなくなる)。だから、間違えまくってもクリアまで続けられたけど、無料版だったらあっという間に終了だっただろうな。

◆◆◆

光熱費の高騰に伴い、昨冬から入浴回数を減らしている。冬の入浴は数少ない人生の楽しみだったのに。
今日も、「何もできなかった身で入浴もな……」と思っていたけど、昼間に地震が2回あり、今日は入浴しておこうと考えを改めた。地震こわい。猫が生きている間はできればこないでほしい。

1件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です